2008年08月06日

不幸「なのに」明るい人(を見るの)がだいすきです

数日前にテレビで何かのドラマが放送されていた。
きちんと見たわけではなく、横目でちらりと見えただけ。
内容もタイトルもわからないのだけれど、
セリフだけが聞こえてしまったものだから、
反芻しては悶々としている。

聞こえたセリフは

「姉さんは目が見えないのに明るくて」

というもの。


こういう言い回しはよくある。
現実でもフィクションでも文字でも音声でも。

「(負と判断される要素)なのに(正と判断される要素)」

どんな関係があるのかよくわからない二つの要素を「なのに」で繋ぐのは
「見えないなら暗いはず」という常識(という名の思い込み)でしかない。
「見えない&明るい」とか「見えないから明るい」じゃダメなのか。


大抵の(表に出る)病人や障害者が明るいのは、
「なのに」じゃない。「だから」だ。
「だから」明るく振舞わなくちゃいけない。

本当は明るい暗いなんて気質や育ちや体調や状況によって違うのに、
(負と判断される)目立つ特徴があると、
明るければ「なのに」、暗ければ「だから」にされる。

「見えないのに明るい」という言葉を当たり前に使う価値観は
「見えないなら暗い」を前提として
「にもかかわらず明るい」を求める。

ただ「明るい」でも「暗い」でもなく、
「暗い場所にいるにもかかわらず明るい」
「障害に負けずにがんばる障害者」として振舞うことを強要する。
“そんな不幸な状況なのに前向きで偉いなあ”
などと言うのが好きでたまらないんだろう。


見えない「から」明るくすることを求められて、
見えない「のに」明るい、と褒められる。

恵まれていない(はずの)人は不幸でいろ。
でも不幸ヅラをされるのは不快だから明るくしろ。ってこと?
勝手な話だよな。


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2008年02月27日

本物を知らなければ偽物は見抜けない

全盲を装って生活保護費の障害加算分を騙し取った男が逮捕された事件の続報。
うーん。なんか腑に落ちなかったり教育に思いを馳せたり。

札幌の視覚障害偽装事件 市、状況把握に限界 性善説前提「疑えない」

 全盲を装って札幌市から生活保護費の一部をだまし取ったとして、同市南区の無職丸山伸一容疑者(50)が二十五日、詐欺容疑で逮捕された事件は、同市による障害者の認定や生活保護受給者の生活状況把握が不十分だった実態を浮き彫りにした。目が見えていたと推認できる情報が寄せられていたにもかかわらず、市は「見えない」という同容疑者の説明を信じていたという。いくつかのサインを、なぜ見抜けなかったのか。

(中略)

 市によると、障害者認定は医師の診断書を添え、市に申請すれば受けることができる。仮に疑いがあれば、市身体障害者更生相談所で再判定した上で、是非を判断するが、市は「診断書があれば、不正とは言いにくい」と話す。
 今回の事件では、不正を見抜くポイントが二つあった。

北海道新聞  2008年2月27日(水)08:22
(以下引用同じ)

ということなんですが。

 一つ目は、医師の診断時だ。医師は北海道新聞の取材に「診断書を書いた記憶はない」と話し、どのような検査を行ったかは不明だが、市内の別の眼科医は「全盲であれば、目に光を当てても瞳孔が反射しない。それに脳波を測れば、分かるはずだ」と指摘する。


んー?これどうなのかな。
視覚障害の一級ってのは「全盲状態」です。
(定義は「両眼の視力(万国式試視力表によって測ったものをいい、屈折異常のある者については、矯正視力について測ったものをいう。)の和が0.01以下のもの」)

これはつまり視力に頼って生活することができない状態です。
よく、失明することを「光を失う」とあらわすけれど、
どう見えないかは人によって違うらしいです。

「目の前で手を振られると何かが動いているのはわかる(手動弁)」
「明るい暗いはわかる(光覚弁/明暗弁)」
という一応「見える」人もいれば、
「視野がない(光はないけど闇もない。
目がついていない背中や足の裏から景色が見えないのと同じように、
見える・見えない以前に「ない」)」とか、
「瞼の裏だか脳からの映像だか知らないけど
サイケデリックな模様が見える」という人もいます。

完全に失明している場合はともかく、
光や動きを感知できる場合も瞳孔に反射しないのかな?
瞳孔って光や興味に反応するんじゃないっけ?
医学的なことは詳しくないので確実なことは言えないけれど。


 二つ目は生活保護受給者への家庭訪問時だ。担当する南区役所は生活状況などを確認するため、三カ月に一度、丸山容疑者宅を訪れていた。これまで疑わしい様子はなかったという。
 しかし、道警によると、地域住民からは「つえなしで歩いていた」「携帯電話のメールを打ち込んでいた」などの目撃情報があった。市にも昨年春ごろ、丸山容疑者が走行中の自転車にわざとぶつかったとの情報が寄せられ、担当者が面会したが「福祉行政は性善説。見えないと説明されれば、疑うことはできなかった」。


全盲なら杖を使うと思うけれど、
ほとんど杖に頼らずに歩いていた人はいました。
弱視の人は「杖なしでもあるける場所はあるけれど、
危なそうだったら杖を出す。本当は嫌なんだけど、
あれは私は視覚障害者ですという目印だから」と言っていました。
全盲でも歩ける人は歩けるのかな...
室内はともかく外は無理かもしれない。これは微妙。

メールはできます。
PCはもちろん、携帯も読み上げ機能がついた機種があるので、
知り合いはみんな持っていました。
でも画面を見ながらってことはないです。
多分イヤホンをつけて読み上げられた音声を聞きながら打つはず。
らくらくホン

それともうひとつ気になるのは、
家庭訪問の担当者はどういう人なんだろうということ。
生活保護担当なら特に障害の知識があるわけじゃないだろうし、
障害者担当だったとしても障害関係のプロや、
まして視覚障害の専門家でもなくて、
たまたまそこに配属された公務員なんだと思います。
違うかもしれないけど。

で、あまり視覚障害者を見たことがないとすれば、
どんなことが全盲の行動として不自然なのか判らないと思う。

この容疑者が素人なら、私は多分わかります。
福祉や障害学の勉強はしていないけど、見慣れているから。
見えていない人にはできない動きや、
見えない人を想像して全盲っぽく動いているのはわかる。
全盲をよく観察した人が上手にモノマネしていたらわからないだろうけど。

ほとんど杖を使わずにスタスタと
器用に歩く全盲(しかも中途失明!)の人もいるし、
「障害者扱いされたくない」と慎重に動く人もいるので、
「これをしたら本物」とか「見分け方」のようなものはありません。

ほんとうになんとなく。
大阪に長く住んでいれば
「ネイティブの大阪弁」と「吉本の関西弁」を聞き分けられる、のような。

そんな「あれ?今のなんか変だな」という感覚って、
下らないことをしゃべったり一緒に出かけたり
お茶を飲んだり仕事したり宿題したり、
普通に生活する時間を積み重ねることでできあがるもんだと思います。
そういうものが、多分ない。
ここの担当者がどうこうじゃなくて、世間一般に。


なんかなー。遠い。
「障害者」と「健常者」が。
あまりにも遠く離れてお互いの存在を知らずに大きくなるから、
大人になった頃にはすっかり違う生き物になってしまっているってとこが、
ものすごく問題なんだと思います。

だって性善説ってさあ…
いや、一級建築士にだって性善説で対処しているような国だけれども。

普通に、人間のナントカさん(全盲)や
人間のカントカさん(全盲)たちと付き合えば、
いい奴もいれば嫌な奴もいるし
バカな奴も無害な奴も気持ち悪い奴もいるってわかるのに。

当たり前すぎることだけど、この当たり前のことをわかっていない人が多いです。
でも、見たことないんだからわからないのも当然だとも思う。
私も自分と関係ないところはわかってない。

んで、こういう「違和感」が近所の人から寄せられたのが
逮捕前だかあとだか知りませんが、
近所の人にしろ担当者にしろ、慣れていない人だとしたら気づきにくいし、
気づいても言いにくいっていうのはわかる気がします。
比べる対象がないし、
「非当事者で非専門家の自分に何が言える?」と思ってしまうから。

実際、見た目でわからない人はよくいます。
スタスタ歩く全盲の人が白杖を出していたり、
明るいところでは歩けるけれど駅の表示を読めない弱視の人が
切符の値段を聞いたりしたら「お前本当は見えているだろう」と
非難されたという話を聞いたことがあります。

 市は「障害者手帳は症状が変わらないことを前提に交付するため、更新や確認の義務はなく、調査する仕組みがない」と釈明するが、北星学園大の田中耕一郎教授(障害者福祉論)は「行政は診断書をきちんと精査する体制が必要であり、障害者手帳を交付した後もチェックしていくことが大事だ」と指摘する。
 市は逮捕を受け、二十六日から丸山容疑者の生活保護を停止した。視覚障害認定についても再判定を行う。


こういうのって、制度としては
もちろんチェック体制を整えるってことが大事なんだけれど、
それ以前の、一般常識的な部分で普通の健常者と普通の障害者が
普通の人同士として出会う経験が必要です。

で、それは大人になってからでは遅すぎるとは言わないけれど、
なるたけ早いほうがいい。
子供の教育があまりにも等質な
(あるいは等質に見えるように訓練された)ものどうしに
区切られていることをどうにかできないもんかなあ。

と言えども特定のニーズのある子供たちには専門の教育が必要だし、
無知な大人に育てられた小猿どもの仲に
いたいけなマイノリティをつっこむのもかわいそうだとも思うから、
なんでもかんでも普通校に通わせればいいってもんでもないです。
教材じゃないんだから。

でもこういうの↓にも共感するんです。

普通の子が成長するため(やさしさや思いやりを学ぶとか)の捨て石として、しょうがい児がいるわけではないけれど、しょうがい児と一緒にいることで普通の子が変わっていってくれれば、しょうがい者が生きやすい世の中になるという面もあると思います。
教育は、しょうがい者が世の中に適応していくための手段であるというような一方通行だけではなくて、世の中がしょうがい者に適応していくための手段でもあるわけですよね。

ぽれぽれくらぶ『今どき しょうがい児の母親物語』ぶどう社


「世界は一定の要素だけで構成されている」と思い込まされる
「健常の子」たちもかわいそうだから。
「健常」や「ノーマル」や「道徳的なこと」に馴染めないのに、
そこにいなきゃいけないと思っている見えないマイノリティも
実はたくさんいるしねえ。


(2008.2.29 追記)
でもこれ、「社会のために」「マジョリティをマイノリティに慣れさせるために」
マイノリティを投入すべきである!ってこととは違います。

「セクマイが普通に存在するんだということを
マジョリティに知らしめるためにはカムアウトすべきである」
というカムアウト至上主義と似たような問題で。

それは確かにそうなんだけど、
現実に不利益を被る可能性が高い場所にいる人にカムアウトを強制したり、
カムアウトしている人を偏見の強い場所に引っ張っていくことは危険です。
いくら思想的に正しくたって、
ナチス政権下で「自分はユダヤ人です!」なんて叫ぶのは危なすぎるもの。

「生きやすい社会をつくること」と
「そのためにマジョリティの中にとびこむこと」を秤に掛けて、
そのとき自分にとって利益が大きいと思えるほうを選べばいいんです。
自分で決められない子供の場合は親の思想や理想に引きずられないように
「なにがこの子自身のためになるか」ということを
強く意識しないといけないかもしれないけれど。


サイト外関連リンク
障害児を就学させるということ



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2008年02月07日

盲導犬は自由の証

もひとつニュースから。

<盲導犬>トラックにはねられ犠牲に 協会が損賠提訴 

盲導犬がトラックにはねられて死に損害を被ったなどとして、財団法人「中部盲導犬協会」(名古屋市港区)がトラックの運転手と高知市の運送会社を相手取り、約542万円の賠償を求めて名古屋地裁に提訴したことが5日分かった。同協会などによると、盲導犬が犠牲となった事故に絡む訴訟は初めてという。

(中略)

 同協会は運送会社などと示談を進めたが、運送会社側が「盲導犬の補償をするという話は聞いたことがない」と主張し、まとまらなかったため、先月提訴に踏み切った。同協会は「盲導犬の数が不足し、育成に時間もかかるという希少性を考慮すべきだ」と訴えている。

2月5日14時18分配信   毎日新聞



ユーザー(利用者)がケガをして、盲導犬は即死だったそうです。
運送会社の言を見るに、
「所詮イヌだろ」って認識なんだろうと思います。
まあ犬なんだけど。


盲導犬が盲導犬になるまでには長い道のりがあります。
適正のありそうな親から生まれた子供たちを
パピーウォーカー(里親)のもとで愛情たっぷりに育ててもらって
(人間を好きじゃないと補助犬はできない)、
性格に向き不向きがあるのでそれをみて、訓練をして……
って大変なんです。
で、今現役で働いている盲導犬は1000頭くらい。

盲導犬として働けるようになったら、ユーザーとご対面。
でも一緒に歩むのってまた大変なんです。
特に最初の1頭。
ユーザーもまだ「犬と歩く」という感覚がわかっていないから。

ユーザーになるためには、自分のことができることと、
犬の世話ができることが絶対必要なんです。
犬はご主人のために働きたいもんだし、
犬の安全を守れない人に主人はつとまらないから。

だから(少なくとも盲導犬が希少な現状では)
ユーザーになる人は普段から介助なしで出歩いている人なんです。
普段ひとりで出歩く人は白杖で歩いているんですが、
白杖ってのは手探りで歩くときの「手」に相当するものです。
あるいはアリの触角とかコウモリの音波とか晴眼者の目とか。

盲導犬と歩くには、今まで歩くためのよすがにしてきた白杖を手放して
犬にその役目をたくすわけです。
自分の手(白杖)と同じレベルで犬の動きを信じなきゃいけません。
でもそれってそんなに簡単にはできません。
人にもよるけれど、慣れるまでには時間がかかります。

自分で(白杖で)たしかめていた部分を、完全に犬にまかせるんです。
自分が犬を信頼しなきゃいけないし、犬にも信頼されなくちゃいけない。
うまくできたら褒めて、間違ったら叱って、本気で向き合う必要があります。

犬との関係をクリアしても周囲との関係が立ちはだかります。
補助犬法ができた今でも、
「犬はちょっと…」と断る店があったり、
犬に勝手に触る人がけっこういます。
(仕事中の犬に触ると、犬の気が散ってしまうので危険です)
そのたびに交渉や説明もしなくちゃいけません。

そうやって戦って、守って、信頼できるようになった犬を失うことは、
ペットを失うときと同じような感情のつらさだけじゃなくて、
自分の自由とか自立する力を失うようなものなんです。


以前、アイメイト協会だか日本盲導犬協会だかの冊子に
「犬を失ったとき、もう一度失明した気がした」
という意味のコピーがありました。
盲導犬は、まさに「目」なんです。

それだけ大きな存在だってことが、
あまり知られていないみたいでなんだか悲しくなります。


※なお自分(ヒギリ)は晴眼です。
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2008年01月10日

電車で視覚障害者を見かけたら2

非当事者による非当事者のための「視覚障害者との接し方」講座第4段
視覚障害者との接し方(タグの下のほうに記事一覧があります)


前回、電車内で立っている視覚障害者を見かけても、
むりにすわらせるなと書きました。

では、すべて放っておけばいいのかといわれれば、
それも答えはNOなのです。
席がすべて埋まっていて、なおかつ立っている視覚障害者が
ケガ人でもお年よりでも妊婦でも瀕死でもなければ、
わざわざ自分が立ってまでゆずる必要はありません。
健康そうな若者にわざわざ席をゆずらないのと同じことです。

でも、席が空いているのなら、
「もしよければ前の席が空いていますよ」とでも伝えてください。


目が見えないということは、
席が空いているかどうか確認しにくいということです。

話し声や音が聞こえれば、
その席が確実に「空いていない」ことはわかります。
しかし確実に「空いている」と知ることはできません。
音がしないからといって誰もいないとは限りませんから。
かといって、むやみやたらと触ってたしかめるわけにも行きません。
うっかり女性の太ももにでも触ってしまったら、
痴漢疑惑が発生してしまいます。

だから明らかに人がいない時間や路線でもない限り、
視覚障害者は立っていることが多いのです。

おおげさなことをする必要はありません。
視覚障害者の近くの席が空いていれば、それを言葉で伝えてください。

遠くの席が空いているようであれば
「奥の席が空いていますが、よければ案内しましょうか?」
とでも聞いてください。
お願いしますといわれたら案内すればいいし、
大丈夫ですといわれたらそうですかと引き下がればよいのです。



大事なのは、あくまで情報提供をするだけということです。
すわるかすわらないか、それは本人が決めることです。
話しかけて、それから行動です。


最悪なのは、無言で近寄っていきなり腕をつかみ、
空いている席まで引きずっていってすわらせることです。
そんな行動をとってしまう人は、
照れ屋さんだからつい言葉を省略してしまうのかもしれません。
しかしやられるほうからすれば、
とつぜん誰だかわからない人にむりやり連れて行かれるのです。
私なら「え?誰!?ケンカ売られる!?外国に売り飛ばされる!?」と
軽くパニックにおちいります。
(もっとも、視覚障害者の多くはそんなパニックはおこしません。
そんなあつかいに慣れてしまっているからです。
そんなあつかいを日常的にされるのは、悲しいことです)

ところで『視覚障害者と差別語』という本によると、
同じ全盲でも、
男性は軽くつつくなり肩をたたくなりしてから話しかけられることを好み、
女性は話しかけてからの接触を好む傾向があるそうです。
あのー、と声をかけられても、自分に対してなのか
他の誰かに対してなのかわからないから、接触が先の方がいい、
という意見と、
いきなり触られるのは怖い、という意見ですね。
どちらにしても、チカンや変質者と思われないためにも、
触れるときは軽く。声かけを忘れずに。


今回のポイント
・空席情報をしらせよう
・すわるすわらないを決めるのは本人
・「無言で連行」はされたら怖い



遠藤 織枝
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電車で視覚障害者を見かけたら 番外編
電車で席を譲るのは誰のためだっけ。

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全盲の僕をネタに喧嘩をしないで。優先席の“立て立て攻撃”は、独りよがりの善意だ!
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2008年01月09日

電車で視覚障害者を見かけたら1

昔書いたものを発掘。
非当事者による非当事者のための「視覚障害者との接し方」講座第3段
視覚障害者との接し方
(タグの下のほうに記事一覧があります)


日常的に視覚障害者(に限らずマイノリティ全般に言えることですが
テーマが視覚障害なのでこういっておきます)と付き合っている人は、
それほど多くないと思います。

「たまたま学校や職場が同じで仲良くなった」という人は少数でしょう。
付き合いのある人は、家族以外では仕事やボランティア活動の中で
「利用者と介助者」としての関係がほとんどだと思います。

障害者の雇用や就学の場は限られがちです。
そのため普通に生活していると、普通に知りあって、
普通に友情や愛情や憎しみをはぐくむ機会が絶対的に少ないのです。

そうはいっても、まったく接点がないわけではありません。
たとえば街や駅で、白杖(はくじょう:視覚障害者がもつ白いつえ)をもった人を
見かけたことがあると思います。今回はそんなときの対応をお話します。

私の足はもっぱら電車です。
当然、サエキさん(仮名、全盲の友人)ともよく電車に乗ります。
するとまあ、私もサエキさんも、ケガ人や妊婦さんやお年よりではないというのに、
びっくりするほど席をゆずられます。
(しかもなぜか私に声をかけてきます。譲りたい相手に言えばいいのに)

ただし白杖を出しているときのみ。
サエキさんはそれが面倒だからと
人とのるときは白杖(折りたたみ式!)をしまっていることもあるくらいです。
白杖をしまう→晴眼者(見える人)に見える→席をゆずられずにすむ。
という図式です。

なぜ嫌かといえば、それが不要な親切だからです
すわれてラッキーといってしまえば良いんですが、
毎度毎度いわれればいいかげん嫌にもなります。
かくしゃくとしたお年よりが、席をゆずられて
「ナメんな!老いぼれあつかいすんなコラ!!」と
不快に感じるのと同じことです。

視力と体力は別の問題です。
ただ、目が悪い人の中には
病気ために目が見えなくなったという人も多いので、
相手が具合悪そう、体力なさそう、妊婦さん、お年よりなどの場合には
率先してゆずりましょう。

また、長く乗るならまだしも
1駅2駅ですわることを強要されると、
それはそれで困るものです。
普段、1駅くらいなら立ったまま過ごすという人も多いはずです。
気分の問題を別にしても、実際困ってしまうことがあります。


たとえば通勤通学に電車を使うとき、
所定の位置におさまりませんか?

いつも同じ車両にすわり、同じ出口から出て、同じ階段を利用する。
たんなる習慣のこともありますが、
視覚障害者の場合、位置を確かめている人もいます。
(そうでない人もいます)

見えなければ、案内板や周囲の景色は目印になりません。
当然、見えるものではなく、音やにおいを目印にします。
といってもそうそう特徴ある音やにおいの場所ばかりではありませんから、
何両目に乗って、右側の階段をのぼる、
というような覚え方をすることも多いわけです。
その場合、せっかく所定の位置に立っているのに、
それを無理に移動させられては困るのです。

さらに悪いことに、ゆずってくれる人は善意ですから、
非常に断りにくい。
最低限「ありがとうございます(にっこり)
でも、もうすぐ着きますから(にっこり)」
くらいはいわなくてはいけないわけです。笑顔必須で

なぜなら、マイノリティのサンプルは極端に少ないために、
マジョリティは自分が出合ったたった一人のイメージを
その属性全体のイメージにしてしまう恐れがあるから。


視覚障害者がそこら中にいれば
馬鹿な奴も賢い奴も悪い奴もいい奴もいると容易に知ることができます。
しかし現実に視覚障害者と出会う晴眼者の数は少ない。
すなわちサエキさんがたった一度失敗をすれば、
サエキさんとであった人に
「あいつは感じが悪い→あいつは全盲→全盲は感じが悪い」と
思われてしまう危険性がある。

視覚障害者に限らず、イメージを悪くしないように
気を使っているマイノリティは多いです。

と、そこまで気を使い使いやわらかく断っているのに、
それでも座らせたがる人がいます。
こうなるともう迷惑以外のなにものでもありません

類似パターンとして、いつも使う階段を登ろうとしているのに、
遠くのエスカレーターorエレベーターまで連行される
というものがあります。

転落をおそれてホームの真ん中を歩いていたら
点字ブロックのある隅っこまで押しやられるということもあります。
善意でも親切でも、押し付けられては迷惑です。
相手の意向を尊重しましょう。どうすれば良いかはまた次回

今回のポイント
・白杖をついている人が座席を必要としているとは限らない
・立っている人にはあえて立つ理由があるかもしれない(ないかもしれない)
・にっこり断られたら、にっこり引き下がろう


※これ書いたときは気がつかなかったんですが、
「視覚障害者」というより全盲で白杖使いの人ですね。
盲導犬使用者の場合はまた違いますが、
相手の意向を尊重することが基本です。


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電車で視覚障害者を見かけたら2
別物色眼鏡
電車で席を譲るのは誰のためだっけ。
posted by ヒギリ at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 視覚障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月15日

手引きのススメ

非当事者による非当事者のための「視覚障害者との接し方」講座第2段
⇒第1弾はこちら


全盲の友人サエキさん(仮名)と歩くとき、
私はサエキさんととなりあって歩きます。
そのさい私はサエキさんに近いがわのひじを曲げています。
(たいていサエキさんの左側に立って右腕を出します)
サエキさんは私のひじを軽くつかんで歩きます。
てすりや盲導犬のかわりになるわけです。
これを手引き(てびき)といいます。

ただし、これは私とサエキさんの場合であって、
肩に手を置いたり、手をつなぐほうがいいという人や、
必ず決まったほう(右側、左側)にいて欲しいという人もいます。
身長差や道の込み具合によって、歩きやすい形は変わります。
また、弱視の人の場合は見え方が千差万別なので、
明るい/暗い場所だと手引きが必要だとか
狭い場所でだけ手引きが必要ということもあります。

歩きやすい方法はひとそれぞれなので、
どうすればいいかは遠慮せず本人に聞きましょう。
必要なことを聞くのは、失礼ではありません。


※してはいけないこと
何も言わずに突然相手の腕をつかんだり引っ張ったりは止めましょう。
されたら怖いです。その上バランスを崩すと危険です。


ボランティア用の本を見ると「手引きする時には腕の高さを…」とか
「階段では立ち止まり、必ず声をかけましょう」など、
いろいろと注意点が書かれています。

ボランティアとして接する場合は、多くの人と出会うため、
普遍的なルールを知っておいたほうがいいでしょう。⇒歩き方参照
また、ボランティアとしての責任がありますから、
利用者の安全を確保しなくてはなりません。

でも私とサエキさんはただの友人なので、あまり細かいことはしていません。
ただとなりにいるだけです。
だからサエキさんも私もよく壁だのフェンスだのにぶつかっています。
しかし普通に歩く程度のスピードでぶつかったくらいなら死にやしないし、
ケガすらしませんから無問題です。

なぜぶつかるかといえば、私たちがベラベラしゃべりながら
注意散漫に歩いているからですが、それだけともいえません。
普段、人は行動するときに自分の大きさを計算に入れて動きます。
つまり、車体感覚のようなものです。
二人で歩くには、その車体感覚を二人分にしなくてはいけませんが、
そこの計算をミスすると壁やモノにぶつかるわけです。
(盲導犬は自分と主人を足した「車体感覚」を訓練で身につけているのです)

サエキさんは以前、
「手引きすると神経を使うから疲れる」といわれたことがあるそうです。
きっと車体感覚を二人分にすることに神経を使ったのでしょう。
となりにいる人がものにぶつからないように、完璧に注意すれば、それはきっと疲れます。

でもね、私はサエキさんがとなりにいようがいまいが前を見て歩くんです。
晴眼者(せいがんしゃ:目が見える人)はみんな、まわりを見て歩いているはずなんです。
サエキさんがいるからといって目玉4つ分で見るなんてことはありません。

どうせ神経を使うなら、相手の心情に使ったほうがよくないですか?
自分のせいで疲れたといわれるよりは、
壁に軽くぶつかるほうが気分としてはいいと思うのです。
ちょっと歩く程度なら、あまり難しく考えなくても大丈夫です。
慣れればなんとでもなります。



ここで手引きのポイントです。

・ぶつかろうが転ぼうが大したケガはしない。
・過度の気づかいはお互い気疲れ


といっても、階段からつきおとさないとか、電車のホームにとびおりないとか、
最低限の注意はもちろん必要ですよ。

視覚障害者との接し方(タグの下のほうに記事一覧があります)
posted by ヒギリ at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 視覚障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

非当事者による非当事者のための「視覚障害者との接し方」講座

けっこう前に書いた文章が出てきたので載せちゃえ。
何個かあるので追々載せていくつもりです。

なお、このシリーズは晴眼者(見える人)である私が
たった数人の知り合いとの付き合いを通して感じたことを書いています。

つまり、ドシロウトによるドシロウトのための入門編です。
当事者の感覚とはまた違うものかもしれません。
「そりゃ違うだろ」「こういう理由もあるよ」などお気づきの点があれば
コメントかメールフォームでお知らせいただけるとありがたいです。



私の友人のひとりは、目が見えません。
俗にいう視覚障害者です。仮にサエキさんとしましょう。
視覚障害にもいろいろありますが、サエキさんは全盲、
つまり目の前にあるモノや色を、まったく認識できない状態です。

視覚障害に限らず、なんだって当事者には当事者の、
家族には家族の苦労があるものです。
苦労には2種類あります。

ひとつめは障害それ自体。
視覚障害でいえば、見えないこと。

ふたつめは障害に起因すること。
視覚障害でいえば、見えないから
書かれた文字(墨字:すみじといいます)が読めず
情報が入手しにくいために、就職が難しくなる、などです。

前者は変えようがありませんが、
道具の力や、社会の変化によって、
後者を変えてゆくことはできます。

たとえば、目が見えなければ墨字を読むことはできません。
けれど墨字のものを点訳(てんやく:点字に翻訳すること)すれば
本や手紙や資料を読むことができます。
(ただし点字を読めない全盲の人もたくさんいます。
 特に大人になってから失明した人で点字が読める人は少ないようです)
最近は携帯電話やパソコンで文章を読み上げることができるので、
それらを利用することもできます。
パソコンが普及したことで、ネット上で新聞を読んだり、
ネットバンキングや通販を利用して自立した生活を送ることができます。
事務系の仕事にも(以前よりは)つきやすくなっています。


が、ここに立ちはだかるのが偏見・差別です。

さすがに「障害者は役に立たないから死ね」というような
あからさまな差別はめったに見かけません。
しかし無知ゆえの誤解や偏見はとても多いです。
原因は無知であっても、たとえ悪意がなくても、
誤解や偏見は差別につながります。


ことこの件に関して、私はただの友人なので、
サエキさんが差別されようが誤解されようが、私は困りません。
ただ腹が立つだけです。
どうしようもなく腹が立つだけです。

ただの友人が一緒に歩いているだけで気づくくらい、
無知による偏見は多いのです。
当事者が出会う不都合はさぞかし多いことでしょう。


とはいえ、障害者に「普通に」出会う機会がない現状では
知らないのも、しかたがありません。
私は、友人としての立場から感じられることを書いていきます。
どうぞ障害者は「ショウガイシャ」という生き物ではなく、
障害のある人だということを知ってください。

⇒次回、手引きのススメ

⇒タグ、視覚障害者との接し方(タグの下のほうに記事一覧があります)
posted by ヒギリ at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 視覚障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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