おもしろく形をつくって子供といっしょにかざれば興味も持たせられますとかなんとか。
実践しているご家庭の描写では、材料をぜんぶ準備したおかあさんが子供にさあ盛りつけようねと声をかけていた。
ぜんぶできあがった鍋に、成形済みの飾りをのせるだけの「おてつだい」。
これが「優良な食育」みたいに描写されていることに驚いた。
だって子供11才だよ。3才じゃないんだよ。
11歳なら切ったり焼いたり混ぜたり煮たりできるだろ。教えさえすれば。
別の日。子供が大きくなったから働くことにしたの、というパートさんとおしゃべりした。
小学校低学年の子とお兄ちゃんがいるそうで、冬休み中は昼ごはんを用意して出勤していると話していた。
あぶないから鍵は持たせていない。火も電気ポットも使わせない。大きい魔法瓶にお湯を用意しているという。
過保護だとは思ったけど人んちのことだし今時の子育て事情はそんな感じなんだろうかと思いながら聞いていたら、お兄ちゃんが大学の模試でどうのという。
え、お兄ちゃん小学生じゃないの!?高校三年生なの!?それで鍵もコンロも使えないの!?その子だいじょうぶなの!?
なんかもう理解できない。
去年読んだ闘病記では、生死をさまよう入院をして死にかけた母親が、無理は禁物の退院後によろよろしながら命がけでそうじをしてた。
こちらも子供は5年生。そんなになにもかもしてあげなくたって、やりかたを教えてあげれば自分の身の回りのことくらいできる年齢だ。
自分が子供だったら、そんな風に蚊帳の外でおかあさんが無理するのをながめるよりも、頼ってくれた方が嬉しい。
自分を犠牲にしてなにもかもしてあげるのって一見「愛」っぽいけど、なにもできない子供を作るのは優しい虐待でしかない。
家事はスキルだけじゃなくて習慣だから、それが身についていないと本人が困る。
スキルはともかく習慣を大人になってから身につけるには労力がかかる。
それになにもさせずにいると、「お前にはなにも期待していない」「お前には何もできない」というメッセージを与えてしまう。
そういう風に思わなかったとしても、それはそれで「してもらって当然」と考える子供になってしまう。
どちらにしても子供のためにはならない。
『断ち切らないで』だったか、貧困層の家庭の話の中に、この辺の子は親が忙しいから小学校低学年でご飯を炊ける子も珍しくない、という話があった。
子供が子供でいられない状況は、それはそれで問題があるんだけれども、自分で考えて動く訓練がされていない子は大人になった時に確実に困る。
そんなことを考えてもやもやしているときに、石井桃子が1956年に書いた『においのカゴ』というおはなしを読んだ。
おかあさんが病気でたおれて、おとうさんと中1と小5の子供たちはまんぞくに家事をこなせないから家の中がぐちゃぐちゃになる。
で、たずねてきたおかあさんのねえさんに「おかあさんをこんなところで寝かしておいていいの」と怒られる。
おかあさんも「あんたの教育方針がまちがってるのよ」と怒られる。
おかあさんはたしかにそうだ、人間いつ死ぬかわからないのに、こんなに何もできない人たちを残していくなんて…と思う。
そうか、昔からか。今時だからこうなるんじゃないんだな。
ただ貧乏だと子供を遊ばせておく余裕がないから昔は動けない子供が今より少なかっただけか。
だれかひとりが無理すれば回っちゃう程度の余裕がある状況では、意識して働かせないと働けない子になっちゃうんだなと思った。
断ち切らないで―小さき者を守り抜く「子どもの家」の挑戦 -
においのカゴ -