2016年12月31日

年末メンタル

盆暮れ正月と冠婚葬祭の前に読むべきは、『ムーミン谷の夏まつり』
わたしたちみんなが楽しくないと思っているならあの人たちとむりにあわなくたっていいのよ。
神経質で弱くて頭が固くて臆病なくせに気づきを立派に行動に移すフィリフヨンカさんだいすき。

フィリフヨンカというのは、ムーミンシリーズにでてくるいきものの一種。
フィリフヨンカたちの特徴は、やせ型神経質で強迫傾向の女性。(男性はフィリフヨンク)
『夏まつり』にでてくるフィリフヨンカは、夏祭りのたびに来もしない親類を招待しては待ちぼうけをくらいつづけている。
好きだから、会いたいから、ではなく夏祭りには親類を呼ぶものだから。
毎年毎年無駄な時間と労力をつかっては寂しい思いをして過ごす。
でも別に、そうしなきゃいけないなんてことはないんだと気づいてやっと自分のための時間をもてる。


私は別に誰も待っちゃいないし、むしろ逃げて逃げて逃げ続けてそのツケで首が回らなくなっているんだけど、でも救われる。
私はここにいなくていい。

よしあしたでかける。ムーミンシリーズ買う。

新装版 ムーミン谷の夏まつり (講談社文庫) -
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2014年04月19日

投影の生まれがい

不利な状況に置かれるとわかっていて子供を生むなんて親のエゴだ。
つらい思いをする子供がかわいそうだ。
こんな条件のくせに子供をつくる親はなにを考えているんだ。
と、生もうとする親を責める人をみた。

子供につらい思いはひとつだってさせたくないと思う人は生まないことを選んで、
子供に嬉しい思いをひとつでも多くさせてやりたいと思う人は生むことを選ぶんじゃないかな。

「存在自体がかわいそうだから死ね」っていうひとが正しいとはぜんぜん思わない。
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2014年04月10日

鈍さの許容ライン

私はわりとマイノリティの問題を知りたがるほうだと思う。
だけど私が知ろうとしてきたのは私に関係があるか、私が共感できる部分だけだったと今更思い知ることが多くて、気づくたびにがっかりしてる。
私はマジョリティの鈍さによく腹を立てる。
気づかないのはともかく、気づいてからさえこんなに無神経なのは何事か!と。
でも実際自分に神経が通ってない部分の痛みは想像すらなかなか及ばないものなんだな。

自分のマジョリティ性を実感して、やっと他人のマジョリティ性を多少は許容できるようになった気がする。
自分のことのように肌身で感じられない部分は頭で考えて知るしかない。
調べて知るのは手間も時間もかかるし、調べたことがぱっと頭に浮かぶようになるには更なる努力がいる。
だから、他者であるマイノリティと同じように感じられないのは仕方ない。

自分は今までどれだけの鈍さを許してもらってきたんだろう。
思い出すと転げ回りたくなる。
消したい過去や自覚のない今を許容するためにも、他人に寛容になりたい。


それはそれとして。

ひき逃げでつかまった人が「なにかに当たったけれど人だとは思わなかった」と供述するのをニュースでよく見る。
マジョリティの「差別したつもりはない」という言葉はこれに似ている。
こういうのは言い逃れだと思ってた。
本当にわからなかったのだとしても、「なにか」の正体を確認しなかったなら罪に変わりはねえよと。

でも自分が「なにか」にぶつかったら、「自分には関係なさそうだし面倒だから確認しなくてもいいや」と思ってしまうかもしれない。
人を害した可能性に気づいても、そんな嫌な可能性は打ち消すかもしれない。
だけど目を逸らそうが確認しようが事実は変わらない。

冷静な他人の目でみれば、事故を起こすよりもひき逃げ事件を起こすほうがひどい。
被害者からみれば、罪とか責任とかそんなことよりまずは救助してほしい。
だから、何かを害した可能性に気づいたら、確認を怠ってはいけないんだ。
鈍さは言い訳にならない。
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2014年04月09日

「一応都民です」も外からみれば都民です

本を連続で読んでいると、関連文献でもないのに、ちょうど今知りたかったことや気になっているテーマが出てきて、これって運命?なんて思うときがある。
音楽やテレビや景色の中にヒントをみつけることもよくある。
実際のところ、興味がない時には見逃していた部分が見えるようになっただけだろうけど、そういうのが続くと、ああ私には今これが必要なんだなと思う。

今がまさにそういう時期で、東京と地方の差が目に付く。
東日本大震災関連の本を読むと、たとえば東京の電力をまかなう地域の経済状況の話や、土地と密接に関係のある生活の形がかかれている。
それらをみるうちに、自分はもしかしてすごく地域の差に鈍いんじゃないかと気がついた。
うすうす感じてはいたけれど、自分が思うよりかなり深刻な鈍さだ。
感覚で理解できない。気をつけてるのに気づけない。教えてもらってようやく気づく。

だから、天気予報で見る「近畿地方」とか「関東甲信越」とかの区分以外に、「東京」と「地方」の溝があるなんて、まったくピンとこなかった。
コンビニやブックオフがならぶ駅前の風景は同じでも、最低賃金や市町村の予算や、その場所の歴史や文化や生き方は違う。
そういう違いは見えていなかった。
ピンとこないから知ろうとしなかった。
他に知りたいことはたくさんあるから、これは知らなくても別にいいやと思ってた。


私はずっと都民だけど東京の人という自認はほとんどない。
都会でも下町でもない郊外育ちの身には、東京イコール区内というイメージがある。
トウキョウは、憧れるほど遠くないし、当事者意識をもつほど自分のものじゃない。

私が震災前に持っていた土地のものさしは、天気予報の映像や、テレビの販促バラエティでみる「お洒落」や「食べ物」程度の文化しかなかった。
ポップカルチャー基準で見ると私は東京人ではないのだけれど、格差や搾取というものさしを手に入れたら、はっきりと私は力のある側にいた。
感覚で気づけないから、私はちゃんと知らなくちゃいけない。
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2013年11月18日

わたしには責任をとる権利がある

NHKの朝ドラをたまにみてる。というか見える。
その時間帯に私がいる場所で流れているから、ちょくちょく遭遇する。
今やってるのは嫌いだからなるべく意識に入らないようにそっぽを向いているけれど、音は聞こえてしまう。
ここしばらくはできるだけ避けているからメンタルにはいいけれど時間を無駄にしてる。
どうしたもんかな。

今やってるのは着物の時代に洋食屋の娘として生まれた食いしん坊が主人公の話。
あの主人公、食欲旺盛というより意地汚いだけにみえる。
女優さんは嫌いじゃないんだけど主人公のバカ女っぷりにイライラする。
主人公が独身のころも、この時代に勉学させてもらっておいて文句タラタラでうざいなとは思ったけれど、まあ勉強できない時代でも勉学したくない人はいる。
勉強できない社会状況の中にいる子が全員「学校生きたい勉強したい将来の夢は医者です」って思ってるわけじゃない。
先日読んだ『名誉の殺人』(アイシェ・ヨナル 朝日選書)でも教育を受けずに育ったお母さんの「自由に生きられるように勉強して力をつけなさい」という忠告を理解できずに「あー学校面倒くさいさっさと結婚したーい」って思っている(そして恋をして殺される)女の子が出てきた。

主人公が好きになれないのとドラマの良し悪しは別。
と、自分に言い聞かせていたけれど主人公が嫁に行ってからもう耐えられなくなってきた。
主人公は小姑にいびられつつ明るくがんばる。小姑の娘?は無口な大人しい子で、主人公はなにくれとなく世話を焼く。
その世話焼きが飲み会の女子力合戦みたいな気持ち悪さで、叫びだしたいほどに嫌だ。

「この子はすっぱいものが嫌いなんです」とか「メンチカツが熱いから割って冷ましておいてあげる」とか、しなくていいことにいちいち手を出す。
子供がいくつだかわかんないけど、おくちにあーんしてあげなきゃいけないような幼児じゃないのに。
小姑が「気遣いを見せびらかすなんて浅ましい」みたいなことをいっていた、まさにその通り。
相手に必要なことではなく、自分が「してあげられる」作業を拾いあさってるみたいだ。
緘黙に過干渉をあてがうほど有害なことはない。

「私はこんなに配慮している」とアピールするための「気遣い」は、気遣われる側ができる・すべき仕事を奪い取る。
善意を拒めない子どもは、黙って受け入れる。
自我があったらそんなものには耐えられないから思考を停止する。
拒めないけれど受け入れたくなければ、黙り込んで無反応になるしかない。

このドラマの子は主人公をいやがらないっぽいから(ちゃんと見てないからわからないけれどキツい母のほうが問題とみなされているような気がする)、この物語の中では問題のない対応なのかもしれない。
子供時代編では主人公の父親の料理を母親が「アンタの料理は押しつけがましい。どうだうまいだろうという気持ちで作られてもおいしくない」というシーンがあった。
そういう視点があるなら、あえて現時点の主人公をこう描いているのかもしれない。このあと気づきがあるのかもしれない。
だけど私は私の物語に読み変えてしまうから、目に入るたびに嫌悪でいっぱいになる。

私は黙り込む子供だったから勝手に自分を投影して転げまわってる。
私の周りには善意の大人しかいなくて、みんなが反応の鈍い子供を気遣ってくれた。
私が自分で出来ることや自分ですべきことはみんな誰かがやってくれた。
でも自分じゃどうにもできないときに助けてもらった覚えがない。
「自分ですべきことは取られないように事後報告」「自分で処理できないほど大変なことは他人に言っても仕方ない」とずっと思ってた。

今はさすがにほーれんそーの必要性を理解したけれど、頭で理解しているからって自然にこなせるわけじゃないから苦行気分で練習してる。
実際には衣食住をはじめ全部面倒を見てもらって、私が知らないうちに尻拭いもしてくれていたのだけれど、私が「いざというときに頼れる場所がある」「失敗してもやり直せる」「味方がいる」と感じることはできなかった。


さらに今まさにそんな風に育てられている子が私から見える場所にいる。
保護者が自己満足してるほどこの子はうまく育っていないと関係者の中では私だけが気づいているけれど、その子やその子が置かれた環境が嫌いだから関わりたくなくて放置してる。
たとえるならば犬知識のないご近所さんが犬に残飯をやるのをみて犬の体によくないと思いつつ、天候の話以上のご近所づきあいは面倒だから見て見ぬふりをきめこむような、そんな状態。
その子はなにもしてないし子どもが悪いわけじゃないことも他者の口出しが必要なことも私はそれをできる場所にいることもわかってるけれど、その子は私や嫌いな人たちにそっくりだから実際に見ると「こいつどうせ碌な大人にならないだろうな」と思ってしまう。最低。


ああもうベッツィーに癒されたい。買ってしまおう。
「リンゴの丘のベッツィー」のベッツィーとおばさんや、ムーミンシリーズのフィリフヨンカさんと子供たちも過干渉な大人と大人しい子供の組み合わせだけど、あれは問題を問題と認識しているから好き。
それらにでてくる不安でいっぱいの「弱い」保護者たちは、その不安の中でも間違っていても一所懸命がんばって子供とかかわっている。
不安をぶつけられる子供は迷惑だけど、拾ってくれる大人もちゃんといる。

あの朝ドラの主人公が嫌なのは自分の善意を疑っていないから。
押しつけがましい善行の自画自賛は大嫌い。
しかも親と子供の間に風を通す他者の位置にいるっぽいのにあのザマだ。
私は人の振り見ても我が振りを正せないからあのドラマをみると嫌なものがドロドロわきあがってくる。


タイトルはフランツ・カフカ『帰り道』(『カフカ自撰小品集』吉田仙太郎訳 みすず書房)より
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2011年07月17日

かみさま僕はふるえてる

それっぽい服が必要なのでしばらく探しているんだけど店をまわってもまわっても満足(我慢)できるものがみつからない。
当たり前だ。全然欲しくないんだから。
良いものがないんじゃなくて欲しいものがないだけだ。

たとえばスカートを選ぶFtMはいつもこんな気分なのかもしれない。
スカート売り場に欲しいものなんかあるはずがないのに、柄が気に入らないとか長さが気に入らないとか理由をつけて、どこかにあるはずの「ちゃんとしたスカート」を探してる。
どうしても選ばなきゃいけないなら投げやりに決めて我慢する。
毎日毎日こんななのか。自分がまったく想像できていなかったことに嫌になる。

そういえば学校の制服になじめなかったなとか、卒業アルバムに無駄金を使うのが嫌で嫌でこんなゴミは欲しい奴だけで共有しろよと思ってたなとかそういうことを思い出してる。


それっぽいもののそれっぽさが結局なんなのかよくわからないのでググった。
これこそがそれっぽさだよねそれ以外とかありえないよねここから外れるなんてマナーがなってないよね、みたいなのをいっぱい読んだ。反吐が出る。
マナーをふりかざす人たちはどうしてあんなに下品なんだろう。
誰かを悼むための場で喪服に二連の真珠をつける人よりも、それをチェックして批評するりょうしきあるひとたちの良識を疑う。
りょうしきあるひとたちのほうが多数派に見えて怖くなる。

たとえば就活サイトでおじぎの角度やスーツの生地やシャツの折り目に汲々とする学生のような気分だ。
自分が知っている分野なら、そこまで厳密にしなくても…とか、教科書にはそう書いてあるけど崩しても平気、とか、融通利かせようよとか、どこにでも例外はあります、とか、ねーよとか、もっと大事なことはあるだろう、とかいくらでもツッコミを入れられる。

知らない分野となるとろくでもない言葉どもに簡単に揺れる。大揺れだ。
あてにならないとか下らないとか参考程度にとか、わかっているのに揺らぐ。
私のろくでもなさなんて今に始まったことじゃないし洋服ごときで糊塗できない。
今更変わることもないのに真に受けて惑って、右往左往するのも面倒くさいからひきこもりたい自分が腹立たしい。

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2011年04月02日

不都合のないささくれも不具合

林立する本の棚からは、きっとマイナスイオンかなんかが出てる。
今日はしばらく行けなかった図書館にひさびさに行った。私の苦手な生き物がうようよしてはいたけれど、そのすきまから本棚を見て、にやにやして、うきうきして、鞄に入らない量の本を借りた。
本当は頭の中の読みたい本リストの上から順にみていくつもりだったけど、なんとなく今は殺伐としたくなくて、そしたら読みたい本リストのほとんどがつぶれて、とりあえず児童書のあたりをうろついたりしてた。


駅に募金を集める人がいる。
よくみかけるそんな風景のなかに、きっと私が通る時間よりずっと前からがんばっている学生さんの群れがある。
私が通る頃には枯れた声で叫んでる。
学生A「ひさいしゃのためにぼきんをおねがいしまーす」
学生BCDE「おねがいしまーす」
ああなんかあれだよね。学芸会を思い出したよ。
あれをみるたび神経がささくれ立つのでなるべく聞こえないように離れて通るんだけど、駅のまん前だからよけることもできない。
近くで叫ばないで。私は大きい声がこわい。

声が嫌いなのは私の特性だからしょうがない。
私は悪くないけどあっちが悪いわけでもないから苦情をいうようなことじゃない。
私が猫アレルギーだからって、猫飼いさんは電車に乗る前にコロコロしてこいと要求するわけにはいかないだろうってのと同じこと。

そんでも嫌なもんは嫌なので、坊主憎けりゃ袈裟だってそりゃ憎い。
「嫌なもの」に見える。
なんだか「被災者」のためじゃなくて「声を枯らして頑張る学生さん」が主役の運動みたいねとか思う。
「むしろこちらが励まされています」と言うためにボランティアをしにいく人みたいに、無自覚で本気で善意で嘘臭い。
そういう風に見える私の目も嫌だなと思ってさらに心がささくれ立つ。


今日図書館に行って、自分でちょっとやばいと思った。
とりあえず今年度の累計利用回数が4回なのはどうかしてる(※本日4月2日)。
やばい嬉しいすごい楽しい。

世の中の空気が落ち着かなくて、ただでさえマイナスのできごとばかりで、それを伝える情報源は不安や恐怖を煽るようなやり口のものが多い。
私はあんまりちゃんと見てないんだけど、それでもけっこう疲れちゃってた。ちょっとしたことでいつもより嫌な方向に反応しやすくなってる。

そういうささくれをなだめてくれるのが私にとっては図書館で、図書館に行けない(実際に行くかどうかは別として、いつでも行けるという安心感がない)というのは思った以上にストレスだったんだなと思った。
負荷がかかるという積極的なマイナスじゃなくて、安心感を欠くという消極的なマイナス。

私は基本的に常に不安だから不安慣れしてる。安定感が失われたショックだとか不安に耐えなければいけない恐怖に突然直面することになった人のようなダメージはない。量と種類が変わっただけで、不安なのも怖いのもいつもどおり。
そもそも私はすぐに諦めるし投げ出すから深刻なダメージは受けない。受けてもすぐ気づいて今日は疲れたから宿題してないけどもう寝ちゃえってなる。

それでも安心毛布な図書館に再会するまで、自分がいつもよりちょっと疲れていることに気づかなかった。というか、ささくれてるなーとは思っていたけれど、軽く見積もってた。
私でさえそうなんだから、被災者じゃないとか被害者じゃないとか恵まれてるとか知り合いがみんな生きてるとか、若いとか健康とか仕事があるとか男だとか、自分が弱音を吐く立場に居ないと思っている人は、なおさら気づかないんじゃなかろうか。

日頃それなりに安定していて、頑張れちゃう人は、今みたいな状況の中でゆるゆるとダメージを受けていくことに気づきにくいんじゃないかと思う。
気づいても、「自分は被災してるわけじゃないんだから」って己を戒めて、癒されたり楽しんだり憂さ晴らしをしたりすることを許せなくなっちゃう人がいるんだと思う。(他人に難癖つけたがる人もいるし)
そういう「大丈夫な」人が今は気になってる。

大丈夫な場所にいる人は大丈夫じゃない場所にいる人より絶対的に大丈夫だから、大丈夫じゃない場所の人と同じになったつもりで同じレベルで辛くなっちゃだめだ。
大丈夫じゃない場所の大変さを共有できないってことを忘れて、知ったような気になってはいけない。

でも、大丈夫な場所には大丈夫な場所なりの疲れがあって、大丈夫な人にも大丈夫なりのささくれがあって、そういう痛みは自覚しておいたほうがいい。
痛くても疲れても頑張らなきゃいけないときはあるし、頑張れるなら頑張っていいんだけど、疲れてきてるなってことを無視してると後からどっとくる。
べつにさ、足の小指をぶつけた程度で泣いたっていいんだよ。

ラベル:地震のこと
posted by ヒギリ at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ぼやき・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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