2007年08月17日

「先生!わたしたちはあなたの生徒です!」

先日行きそびれた東京プライドパレード
どんな感じだったのか雰囲気だけでも知りたいと
ネットでレポを読み始めると、
学生フロートの人がかかげたプラカードの言葉が目に留まりました。

「先生!わたしたちはあなたの生徒です!」

そうだった。
マイノリティって意図的な差別かどうかは別にしても
不可視化あるいは周辺化されちゃう
んだよねえ。
ってことを思い出しました。
まあクラスの半分を占める女の子も不可視だったりするときもあるけど。


そんでまあ、昔を思い出しました。

学校で、聴者(きこえる人)である友人(以下聴さん)が
聾者(きこえない人)である友人(以下聾さん)と講義を受けたときのこと。
聴さんは聾さんのノートテイカー(ノートテイク:音声の情報を紙に書いて聾者に伝える同時通訳のようなもの を、する人)として受講していました。

テレビやラジオの音声を筆記してみるとわかると思いますが、
聞こえた言葉をすべて書き写すのは大変に難しい。
だから文章をまとめたり、略語を使ったりするテクニックが必要ですが、
学生テイカーはプロじゃないし経験もまだ多くない。
その上講師はしゃべるのが早い。
というわけで、もう少しゆっくり話していただけるとありがたい、
と交渉したそうです。

人気のある(内容が面白い・わかりやすい)講師は大抵
「気をつける」とか、「もし早くなってしまったら言ってくれ」とか
「わからない部分は聞きに来て」とか
「なるべく印刷資料を増やす」など対応をしてくれます。
が、中にはそうではない人も当然いるわけで、
一度など

「あなたたちのために講義をしているわけじゃない」

と言われたと聴さんが嘆いていました。


私も同じ光景を見たことがあります。
全盲の友人と講義を受けたときのこと。
ノートテイク制度などは特に利用せず、
板書されたものを講師が読み上げないときは隣にいる私が読み上げていました。
ちなみにこれは情報保障の権利やボランティアとは無関係に
「前の人の頭が邪魔で見えないんだけどココなんて書いてあるの?」
と隣の友達に聞くのと同じことです。
こういった「友人間の協力」も重要ですが、
それはそれとして「友人の協力が得られなくても困らない」程度の
情報保障が制度として必要です。


ある講師は講義内容のほとんどを読み上げずに板書して
補足や雑談を口で語るという講義スタイルでした。
視覚重視のそのスタイルは、全盲や弱視や単に近視の人や
運悪くアフロ巨漢の後ろに座ってしまった人にはとてもわかりにくいのです。
読み上げてくれるよう要請しましたが改善されることはありませんでした。

ある日、同じ講義を受けていた別の全盲の学生が
いくどか「今の箇所はなんと書いてありますか?」という質問を繰り返しました。
それはつまり「読み上げろ」と暗に抗議したわけですが、
数回目に講師は

「これでは講義をすすめられない
君のためだけの講義じゃない」


と言いました。

たしかにすでに書いてある内容を何度も聞かれては話をすすめられません。
しかし、書いてあるだけでは見えないのです。
聞かなければ情報を得られない学生がいるということを講師は知っているし、
改善策(読み上げる、できれば資料を配る)も提案されているのです。
にも関わらず改善をしないということは
見えない学生を学生の中に含めていない、
教える気がないということです。

(もっとも、このような対応をする人には
そもそもどの学生にも教える気がないような人が多いですが)


で、冒頭の言葉と同じことを思いました。

私のためだけの講義ではない。
だけど、私たちのための講義じゃないのか?
私だけが学生ではない。
だけど、私も学生ではないのか?



少数だから、視えないから、あるいは視えにくいから。
それだけで存在しないかのように扱われるのはたまりません。

非行に走ったり、ひきこもったりする子供のよこで
必死に耐えている大人しい子や「普通の」子が

手のかからない良い子として手をかけてもらえないのと同じように、
数が少なかったり視えにくかったりする子たちは
「その子のための教育」を受けられません。


「多数派のための教育」は受けられるけれど、
自分に合わない教育を受けても
それは教育を受けたことにはならないんです。


学校の件で一番不自然だったのは
怒っていたのが聴者である聴さんと晴眼者である私だったこと。
一番憤っていい聾者や視覚障害者の友人たちは
「まあそんなこともあるよね、困るよね」という程度でした。

そうやって
いないもののように扱われることが多すぎて、
そう扱われるのは当然のことだと思い込まされていたのです。

実情をなにも知らないマジョリティの私達は、
講義を受けるのは学生の当然の権利だと思っているから、憤るのに。

それが一番悲しくて、
当事者でもないのに勝手に怒っている私達が
正義面した馬鹿みたいに思えて、
彼らの置かれた状況を今更ながらに知って、
自分の無知と無力と周囲の無理解を思い知らされて、やるせなかった。


まずは自分に権利があると思えること。

他の生徒にかけるのと質的に同じだけの手をかけてもらう権利がある、
他の生徒と同じだけの安心や肯定をもらう権利がある、
他の人と同じように大事にされていい、
他の人と同じように幸せになっていい、
他の人と同じように幸せになるための努力をしていい。


そう思えるようになることがまず大事なんだと思います。
そう思えるためにも教育の場で尊重されることが大切なんだけど。

自分には権利があると思えて、
なおかつそれを口に出せるってことが、
マイノリティには難しかったりします。
あからさまに虐げられていなくても、
なんとなく周辺に押しやられて育ってしまうと
自分のためになにかしていいと思うことが難しい。

だから、こうやって
わたしたちも生徒です
と主張する子たちを見て、
胸を衝かれてしまったのでした。

写真だけでも嬉しくなるけど、やっぱり直接行きたかったなあ。
それにしてもいい笑顔だ。
posted by ヒギリ at 11:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月18日

病める自由

外出が大変な人が、
「今はネットで通販もできるとはいえ、
 いざと言う時に買い物が出来ないから、
 梅雨時や台風の時期なんかは特に
 消耗品や食料品を常備するよう気をつけている」
と言っていた。

摂食障害の本に、
「『買いに行く』『作る』などワンクッション置くことで
 気が紛れたり逸らされたりするから、
 すぐに食べられるものはなるべく買い置きしないほうがいい」
と書いてあった。

他の本には
「手が届くところに食品を置いておくと
 (最初はガンガン食べてしまうけれど、慣れれば)
 いつでも食べられるという安心感を得られるので食べずに済む。
 だからむしろ食品を持っていたほうがいい」
と書いてあった。

摂食障害の人が、
「あると食べてしまう。でもないと落ち着かない。
 だから買っては食べつくしてしまう」
と言っていた。


常備しとかなきゃいけない人が
常備できない/しちゃいけない状況になっちゃったらどうするんだろう。
病まないわけじゃないのに、病むことすら難しいのかな。
とかちょっと思った。

益体もないこと。

※摂食障害の人が恵まれているとか言うことじゃなくて。
posted by ヒギリ at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月13日

正義と親切

アンパンマンはヒーローだけど正義の味方じゃない。
正義の味方が正義であるためには倒すべき悪が不可欠だけど
アンパンマンは悪がいなくても存在できる。

アンパンマンは誰か(主にばいきんまん)が悪事を働けば止めに入るけれど
悪だから倒す!とは思っていない。
泣く子がいるから止めるだけ。

そもそもアンパンマンはばいきんまんを嫌いじゃない(と思う)。
ばいきんまんがいい子にしてれば一緒にニコニコとごはんを食べられる。

正義の味方は悪が消滅すれば存在意義を失うけれど、
アンパンマンはなにも変わらない。

そもそもの目的が「悪を倒す正義」ではなく
「困った人を助ける」であるアンパンマンは
「悪を倒す正義の味方」になろうとしているわけではない。
結果的に正義の味方だったとしても。

アンパンマンのパトロールは「悪を見張る」ではなく
「困った人がいないかチェック」。

悪がいなくても困っている人は存在する。
お腹がすいたとか道に迷ったとか。
悪が居なくてもアンパンマンは困らない。

助けを求める人がいなくてもやることはいくらでもある。
平和でもそうじゃなくてもアンパンマンの存在価値は揺るがない。

アンパンマンは「正義の味方」ではない。
「親切な人」です。


ところでスタンダードないじめにはキャストが4人必要らしいです。
加害者 (いじめっこ) ジャイアン
被害者 (いじめられっこ) のび太くん
観客  (積極的肯定) スネオ
傍観者 (消極的肯定) しずかちゃん

まあ4人だったら全部ひとりずつだけど実際の人数は大体
被害者≦加害者<観客≪傍観者
じゃないかと思うわけです。

んでいじめってのは傍観者が多い集団に起こりやすいらしいです。
「嫌だなバカだなと思うけれど止めに入って自分がいじめられても嫌だし」
という人たちですね。

逆にいじめが起こりにくいのは注意する人がいるクラス。
いじめる側に冷たい視線が向けられるといじめにくいらしい。

世に必要なのは悪を断罪する正義じゃなくて
いじめを止める親切だよな。
と ちょっと思った。
posted by ヒギリ at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月31日

「そう」じゃない人

日本人なら誰しも
女の子なら必ず
男なら一度は

すべての○○は××である。

っていう言い方を無自覚にされるのが嫌い。
当然のように自分がスタンダードだと思い込んでいる奴らが嫌い。

そうじゃない人もいるってことに思い至らない言説を見るにつけ
そうじゃない私はなんなのさって思う。
そうじゃないあの人はどうなのさって思う。

マジョリティしかいないなんてことはありえない。
マジョリティが「多数派」なのは「少数派」がいるからだ。

全ての人が「そう」なんてことがあるとしたら、
それはよほど厳格に条件をさだめた場合に限られる。
たとえば「現在生存しているすべての人は現在生存している」
これに例外はない。だけどわざわざ言う価値もない。
それですら「生存」の定義によっては例外もありうる。

つまるところ、「○○一般」というものに
例外がないなんてことはない。


別にねえ、
すべての恋愛小説にセクシャルマイノリティを出すべきだとか
すべてのドラマにすべての障害者を出すべきだとか
すべての公共機関にはすべての言語で案内をのせるべきだとか
そんなことを言いたいわけじゃない。

日本人は概ね とか
女の子の多くは とか
ほとんどの男は とか

せめてそれだけでいい。
「そうじゃない人」が存在する余地を残してくれれば救われるのに。

posted by ヒギリ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月26日

駒尺喜美さんから受け取ったもの

わたし自身が狭量なと思うくらいだから、おそらく人からはそう思われるに決っている。が、しかし、ほんとうは、自分自身にそれは狭量ですぞと言い聞かせてしまう自分に、わたしは腹立たしいのである。

駒尺喜美・小西綾 『魔女の審判』 不二出版


22日に駒尺喜美さんが亡くなったんだそうです。
新聞の訃報を見て思わずああと声が出てしまいました。
お年を見れば早すぎるということもないのだけれど
悲しいというか…残念です。


善意でいわれることが即ち差別であるということほど、わたしを滅入らせるものはない。

同上


周り中に腹の立つことが多い。
それはもちろん単に自分のわがままにすぎないことも多々あるけれど、
特定の立場におかれた誰かへの扱いに対して
理不尽だとか不当だとかそういう怒りを感じることが人より多い。らしい。

その立場にいない人に理不尽さを訴えてもなかなか理解を得られないから、
なぜわからないのかと怒りを感じる。
その立場にいる人にもっと怒れと訴えても
そんなことをいちいち気にしては生きていけないと言われる。

自分に直接関係のないところに想像が及ばない人がいることも、
たとえ他人のおかれた立場を想像できても
大抵の人は他人のために自分を削らないこともわかる。

他人への理不尽さが見えたところで、
できることもしたいこともないのだから
ならばせめて見えないようにと目をつぶるのもわかる。

当事者がいちいち細かいところまで理不尽さを感じていたら
精神的にもたないし、戦い続けるのも体力がいる。
だから傷つかないために気づかないようにするのもわかる。

自分自身だって結局目をつぶる他者であり当事者でもある。
それでも私は目をつぶる他者にも当事者にも怒りを感じる。


どうせ言っても通じないから、大げさな奴だと思われたくないから
「なぜ怒らない?なぜ気づかない?なぜ声を上げない?」という怒りを噛み殺す。

そんなことばかりしていたから
おかしいのは理不尽さがまかりとおることではなく
それに対する自分の反応だと思うようになっていた。

自分が過剰に反応しすぎるのだと思わされていたころに『魔女の審判』を読んで、
なにかものすごく「大丈夫だ」と思った。
なにが大丈夫なのかはよくわからないけれど。

書いてあることは理不尽さなのに、読後に得られたものは安堵だった。

こう感じるのが自分だけじゃないこと、
こう感じていいのだということ、
それどころかこの人たちは自分が生まれるずっと前からこんな怒りを抱えて、
しかも戦って生きているのだということ。

それらすべてに救われた。


私は些細なことにいちいち怒って反応して
下らないことにエネルギーを費やしている。
下らないことに足を引っ張られるのはもったいないことだから
とりあえず横に置いたり受け流したりすることも
できるようにならなければならない。
だけどそれは飽くまで自衛の手段。

怒りは忘れずにとっておこう。
受け入れられない自分が悪いなんて自分に言い聞かせない。
それくらいなら私にもできる。


そうやって駒尺喜美さんを忘れずにいようと思う。
posted by ヒギリ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月18日

常識≒美学の押し付け

友人Aはアスペルガーっぽい。(あくまで印象)
みんなで遊んでるのに気づくとひとり漫画を読む小学生みたいなタイプ。
好きなジャンルのことには驚くほど詳しくて
趣味のためならフットワーク軽くどこへでも行く。
興味のないことには徹底的に無知。
仮に趣味人さんと呼びましょう。

友人Bは普通至上主義
人から外れないことを最重要視して生きてきたらしい。
芸能やファッション分野で人から遅れないように
痛々しいほどがんばっている。
似合う似合わない好き嫌いより流行が大事。
仮に流行さんと呼びましょう。(読みは「ながれさん」で)


趣味人さんと流行さんは私を介して知人関係にあるわけですが、
あまり話は合わないらしい。
で、たまたま3人で会う機会があったときのこと。
私が到着するまで2人で話していたものの
何を話せばいいんだか…という状態に陥ったそうな。

どちらかというと流行さんの困惑度のほうが高かったようで、
後日愚痴られました。
(普通至上主義の流行さんにとって
 「普通」を意に介さない趣味人さんは理解しがたいらしく、
 他方趣味人さんは流行さんをさほど気にかけていない)

流行さん曰く
「共通の話題がないから困ったよー。
 誰でも知ってる話なら大丈夫だと思ってSMAPのこと話したら
 存在は知ってるけどあんまり分からないとか言うしー。
 メンバーも香取くんと木村くんしか分からないっていうんだよ!
 信じられない!ちょっと引いた」


※流行さんはSMAPファン。
 趣味人さんは歴史フリークのため「新撰組!」の香取慎吾と
 「武士の一分」の木村拓哉を知っていた模様。



そんな話を聞きつつ脈絡ないようなあるような感じで思い出しました。

そういえば以前、流行さんに「ヒギリは八方美人だねー☆」
ほめられたことがあったなあ(明らかに褒める口調だった)と。

それ褒めてネェよと思ったけれど
当時はまだそんなに親しくなかったから言い返せなかったなぁ。
私としてはSMAPメンバーの名前より
八方美人は褒め言葉じゃないってことのほうが余程常識なんだが…

等等


だけどよく考えてみたら、
流行さんにとっての常識(SMAP)が
趣味人さんにとっては常識じゃないように
私にとっての常識(四字熟語)が
流行さんにとって常識じゃないというだけの話で
それを「知らないからおかしい」と言い切って
引いたり軽蔑したり馬鹿にしたりってのは
ダメだよなあ(私も)。と思うのです。


まあSMAPにしろ熟語にしろ
知らないと恥をかく場面はあるわけだけれど。
というか一般常識って大事だよねとは思う。


ただコレを知っておくべきだ!って思うのは
それぞれが胸に抱く美学に過ぎないわけで
私は正しい日本語(ってのも曖昧だけど)を知っておくこと
(必ずしも「使うこと」ではない。知った上で崩すのはOK)が好きで
それを美しいと思うけれど人に強いるのはやっぱ違う。
強いるための方便に「常識」を使うのは更に違う。

こんなにSMAPは魅力的だから知れ!と滔滔と語るとか
言葉の意味をきちんと知って定義した上で使わないと
こんな風に誤解される恐れが…!と脅すとか
そうやって説得するならともかく
(そんなんで説得されるかもともかく)

「そんなことも知らないのー?常識じゃん」ってのはガキの言い分だ。
うん。小学生のときよく言ったり言われたりした。

自分の常識と他人の常識は違うってことを忘れちゃいけない。


※この話は概ね実話ですが
 話を簡潔にするため及びプライバシー保護のため(?)
 話の細部に多少の脚色アリ。

posted by ヒギリ at 23:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月10日

自業自得でもツライもんはツライ

幸福者の我儘の続き

「周りになんの問題もないのに
あるいはあったとしても些細なものなのに
なんらか問題が生じるとしたら、そりゃあ本人の問題でしょう。
だって他の人たちはもっと大変な問題を抱えているのに
立派に生きているんだから」



昔読んだなにか(ルソーのエミールだったかなぁ…?
うろ覚えな上に引用で見たものかもしれない)に、

「子供は大人のように大きな器を持っていない。大人にとっては大したことのない量の水でも子供の小さな器に一気に注ぎ込んでは、子供の器からは溢れてしまう。」

みたいなことが書いてあった。


例えば37.5℃の熱が出たとする。
平熱が37.3℃の人にとってはそんなもの熱じゃないから
まったく問題なく平常どおり動けるかもしれない。
でも平熱が35.8℃の人にとっては結構ツライのかもしれない。

更に原因が
「鍋焼きキムチうどんを食べたから」か
「インフルエンザによる発熱」か
「アルコールの摂取による酩酊」かでもツラさは変わってくる。

熱以外でも同じこと。
同じ原因でも反応やダメージは人によるし、
同じ症状でもツライかどうかは人による。

ツラさって相対評価じゃないから
ツラければツライって言っちゃっていいんじゃないかと最近思う。
少なくとも、ツライと思っていい。

といっても酔っ払って道路で寝た挙句風邪を引いて37.5℃の奴が
末期がん患者に
「体調悪いってツライよねー、うんうんわかるー僕も体調悪いからー」
とか言ってたらふざけるなと思う。
それはとても不快。

周りに自分のツラさをアピールするのと、
自分のツラさを自分に主張するのは違う。
そこは重々わきまえなきゃいけないわけだけれど、
それはそれとして、
「自他の置かれた状況」だとか「責任の有無」と
「自分が今どう感じているか」は切り離して考えたほうがいい。

自分のせいだろうが些細なことだろうが
ツライもんはツライ。

他人を基準に
「あの人に比べたらこんなの大したことじゃない、ツラくない!」
って思い込むのは踏ん張るために必要なこともあるけど、
自分のツラさを認めるのも結構大事なんだと思う。


状況(と責任)と感じ方を切り離すべきなのは
他人のほうがツラくない(ように見える)時も同じで、
「この程度のツラさなんて自分は屁でもないから
(自分は耐えられたんだから)
アンタもツラくないし耐えられるはずだ。
そんなもんでツライと思うのは弱い証拠だ!」
とか言ってはいかんのだと思う。

てかツラさが相対評価なら
現代日本で生まれ育った人はみんなツラいなんて思っちゃいけない。
だって例えば「紛争が続く地域で戦渦に巻き込まれ目の前で家族を殺されて誘拐されて薬漬けにされて洗脳されて最前線の地雷原で戦わされる少年兵」よりも酷い目に遭った日本人がいったいどこにいる?
いたとしても極々少数のはず。

少年兵に比べれば虐待も貧困も犯罪被害も大したことナイナーイ☆
だからツライなんて言うな!てなことになってしまう。
まあこれは極論だけれど。


恵まれた状況にいるってのはとても幸運なことで
そこに文句をいうのはやっぱり甘えだ。
だけど
自分の弱さに原因があるにしても今ツライのは事実だよね
って認めてあげるのは必要だと思う。

すべて回りに責任転嫁して自分を甘やかすのはダメだけど、
自分くらいは自分に優しくしてやっていい。
だって他の人はそこまで優しくしてくれない。

「自業自得だけどツライよね」ってのがまずあって、
それから「じゃあどうしたらツラくなくなるんだろう」
って考えればいいんだと思う。
じゃないと「自業自得だからツライ目にあうのも当然だ」
「こんな自分は勝手に苦しめばいい」と
思考停止してしまうから。

そう考えないと、自分にも他人にも優しくしてやるのが苦手な
(そのくせ甘やかすのは得意な)私のようなヤツは逆ばかりしてしまう。
優しくないヤツの甘やかしなんて最低だ。


つまりツライとかツラくないとか考えるとき、
対外的には自分を基準にしちゃだめだけど、
自分に対しては自分を基準にしなきゃだめだよね。
ってなことを思ったのでした。

posted by ヒギリ at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
タグクラウド
Aセク Aセクシャル BL CM DV GID goo IDAHO IS LGBT MINMI NHK Roots sad TLGP UFO X−MEN あるある いじめ うさぎ おしゃれ おやつ お勧め こんにゃくゼリー しつけ ひきこもり まゆ もったいない もとはしさとこ ものづくり やっかみ やり直し やる気 アイデンティティ アカー アセクシャル アトピー アニメ アメリカ アルバイト アンパンマン アン・スモーリン アート イギリス イタリア イベント イラン インターネット インド インナーチャイルド インフルエンザ ウサビッチ エイズ エドワード・ゴーリー カップル思想 カムアウト キャロル・オフ クィア クローズアップ現代 ケア ゲイ ゲーム コミュニケーション ゴーリー サポート システム ジェンダー ジャッキー・ケイ ジョン・ガイナン スキヤキウエスタン スパム スポーツ セクシャルマイノリティ セクシュアリティ セクマイ読み タイトル評 テレビ ディロン トーベ・ヤンソン ドキュメンタリー ドラマ ナショナリズム ニューカマー ニュース ニート ネット ネット広告 バイセクシャル バッシング バリアフリー パウロ・コエーリョ パレード パワーハラスメント ビッグイシュー ピーコ ファクタ ファンタジー ファン心理 フィルタリング フェミニズム フリーター ブクログ ブラ男 ブログ ブログ村 プライド ヘテロセクシズム ヘテロセクシャル ペット ホモソーシャル ホモフォビア ホワイトカラー・エグゼンプション ボランティア ポジティブ マイノリティ マジョリティ マスコミ マタニティマーク マナー マナー向上員 ママ ムーミン メディア メディアリテラシー メンタル モラル ラジオドラマ ラベリング リテラシー レインツリーの国 レゲエ レベッカ・ブラウン 三森ゆりか 三谷幸喜 上野動物園 上野千鶴子 下着 不妊 不安 不幸 不正採用 不況 不登校 世代 中学校 中村文則 事件 事故 二丁目 二千円札 二次加害 京極堂 京極夏彦 仕事 体罰 倉敷市 倉本智明 倫理 偏見 健常 健康食品 優先席 優生思想 児童 児童書 入管法 全盲 写真 写真集 冤罪 出産 制服 動機付け 動物 北朝鮮 北海道 卒業 厚生労働相 原因論 原爆 参院選 友人 可愛い 吉永みち子 同性愛 名づけ 名付け 名前 君が代 和歌 和歌山県 和田秀樹 図書館 国旗 国連安保理 地下鉄 地域 地震のこと 報道 売春防止法 売防法 外国人 夢判断 大人 大分 大学生 大統領選 大阪 夫婦 女性 姑獲鳥 婚姻 子ども 子供 子宮頸がん 子持ち 子無し 子育て 学校 学生 安倍晋三 安全 安心 宗教 定時制 宮城県 宮沢賢治 家事スキル 家庭 家庭科 家族 寓話 対処 対話 小中学校 小学校 小説 少子化 少年犯罪 少数派 就労 尾辻かな子 島村洋子 島根県警 工藤定次 差別 差別用語 希望格差 常識 平野広朗 幸せ 府中青年の家 引きこもり 弱者 弱視 心理 心理学 思い込み 性善説 性教育 性暴力 性犯罪 性的指向 恋愛 恋愛至上主義 情報 愛情 感動 感情 慣れ 我慢 戦争 戸籍 手引き 批判 投票 拷問 携帯電話 摂食障害 支援 政治 政策 教員 教職 教育 教育再生会議 教育再生懇談会 教育委員会 整理 斉藤環 新潟 新聞 日本の、これから 日本テレビ 映画 普通 景気 暴力 暴言 書評 月経 有川浩 服装 未婚 本多孝好 本能論 札幌 朴裕河 村上龍 条例 東京プライドパレード 東京都 東北農政局 松森果梨 柳沢伯夫 格差 桐野夏生 梨木香歩 森永アロエヨーグルト 権利 横浜市 欲求 正義 歩行 死刑 民主党 洋画 活字中毒 浜崎あゆみ 清水尚 熟年 父親 特報首都圏 犯罪 猿橋賞 珍名 理解 生徒 生活保護 生理 生理的 男性 町村官房長官 異性愛 異性愛至上主義 痴漢 発達障害 百合 盲導犬 知る権利 短編集 砂川秀樹 社会 社会不安障害 神戸市 福祉 税制 童謡 笑い 管理 紅白歌合戦 経済 結婚 結婚式 絵本 練馬区 署名 美学 義務 義務教育 義家弘介 聴覚障害 職場環境 育児 脳内メーカー 自分探し 自己肯定感 自死 自死遺族 自殺 自閉症 芳賀優子 芸能 芸術 若者 薬物 虐待 行事 行政 表現 裁判 西村賢太 規制 規範 視覚障害 視覚障害者との接し方 親切 親子 言葉 訃報 詐欺 評価 読売新聞 読書 貧乏性 責任 足立区 農業 遊び 運動 道徳 遥洋子 選挙 邦画 都城市 配慮 野球 障害 集団 雑誌 難聴 電車 非行 韓国 音声信号 音楽 飲酒 飲酒運転 餓死 駅員 駒尺喜美 騒音 高校 高校生 高楼方子 鳩山法相 DHC
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。