2008年01月11日

電車で視覚障害者を見かけたら 番外編

非当事者による非当事者のための「視覚障害者との接し方」講座第5段
視覚障害者との接し方(タグの下のほうに記事一覧があります)


「電車で視覚障害者を見かけたら(1,2)」の文章を書いていたとき、
ふと気になったことがありました。
視覚障害者に声かけは必須。
でも、話せない・話さない人はどうするんだろう。
で、たまたまそこにいた聾者の知人に質問してみました。

「電車で立っている視覚障害者を見かけたらどうする?」

答えの前にまず聾の話をしておきます。
(ただしこれは聴者である私が知人の話をベースにして理解した範囲の話です。
年齢や教育環境によって、口話や手話に対する印象は違うそうです)
※聾者(ろうしゃ):聞こえない人、
 聴者(ちょうしゃ):聞こえる人

聾とは「聞こえないこと」。唖は「話せないこと」。
「耳が聞こえない」=「話せない」ではありません。
耳の機能と声帯の機能は別物ですから。

聞こえるけど発声できない人もいるし、
発声できるけれど音を聞いたことがないから
言葉として発話することは難しいという人もいます。
(中途失聴の場合は聞こえなくても記憶をたよりに話す人が多いようです)
失語症や緘黙はまた別です。

聾者といえば手話のイメージがありますが、
聾者みんなが手話を使えるわけではありません。
特に親が聴者の場合は自然に覚えるのはなかなか難しいし、
手話を禁じられて育った人たちも居ます。
(もっとも、近年では子供が聾だとわかった時点で
子供との言語を手話に定めて覚え始める親もでてきたようです)

聾教育の中では長年「いかに健常者に近づくか」を重視して
口話(こうわ:音による言語。聞こえないけど口で話す)に
偏重した教育がなされてきました。
聾学校で手話を禁じ、教員も手話を知らないため
(個人レベルでは努力して覚える人もいるにせよ、大多数は聾教育の専門ではない)
授業内容以前になにを言っているかがわからず成績不振になる、
ということがありました。
というか今も改善途中なのかな?その辺はよく知りませんが。

口話には発話と言葉の読み取りがありますが、
聞いたことのない音を出すのは至難です。
口の開き方や喉の動かし方で正しい音に近づけていくのです。

読み取り(読話)は漫画やドラマでよくでてくる読唇術ですが、
あんなんしっかり読めるわけがありません。
鏡の前で声をださずに「バ・ナ・ナ」「サ・カ・ナ」と言って見てください。
単語を一文字ずつ区切ってアナウンサーのように
はっきりと口を動かしても明確な区別はできないと思います。

まして早口であまり口を動かさずに喋る日常会話で、
意味などわかるはずがありません。
せいぜい状況や、難聴ならば聞こえた音と口の形を補い合って
どうにか推測するだけです。

で、
「発語できたほうがいざというときに(見知らぬ聴者に)
助けを求めやすいなど利点もあるにせよ、
なぜ使いこなすことが難しい言語を日常使いにしなければいけないのか。
なぜ口話だけしか認めないのか。
手話なら習得できるが口話を完璧に習得することは難しい。
聴者と話す利点より第一言語を習得できない弊害の方が大きいではないか」
という声が聾コミュニティのなかからでてきます。


話してくれた知人は聴者の両親のもとに生まれ、聾学校で育ちました。
彼女は成人して手話サークルに入るまで手話を知らず、
聾者として生きる先輩たちをみるうちに聾プライドに目覚めたそうです。

幼い頃から聾学校を出るまで必死で口話を勉強して、
うまく発語できていると褒められたし、親とも口話で意思疎通ができていた。
しかし聴者の中に入ってみると聾者慣れしていない周囲にはあまり通じなかった。
あれだけ辛い思いをして覚えた口話は筆談に劣った。
そのことにショックを受けたのだ
と言っていました。

最初のうちは口話を使っていたけれど、
手話を覚えてからは口話を使うのはやめたそうです。
それは自分達の言語ではないから。
その上、口話よりも筆談のほうが正確に意思の疎通ができる。
(大人数のおしゃべりができない・スピードが遅いなど問題はあるにせよ)


なお「聾」という言葉は
男性同性愛者における「ゲイ」のような言葉らしいです。
「ホモセクシャル/聴覚障害者」ではなく
「ゲイ/聾者」として「ゲイプライド/聾プライド」を持って生きることを「選ぶ」とか
「性的指向/障害は選べないが、ゲイ/聾者として生きることは選択できる」
というような。

これらの話を聞いていたので、
少なくとも彼女の場合はできるだけ口話をしたくないんだ、
ということを念頭において最初の質問をしてみました。

「電車で立っている視覚障害者を見かけたらどうする?」

知人も(見た目でわからないから席を譲られることはないとはいえ)
健康な障害者だけあって、即答されました。
「若くて健康な人ならなにもしない」
チッ。ひっかからなかったか。

そこで第二問
「ではお年寄りや妊婦やケガ人の視覚障害者だったら?」

私は
「発話できる聾者と、どうやったって見えない全盲の間だから、
聾者が譲歩して話しかけるのだろう」と予想していました。
(「視覚障害者」という言葉を使っているけれど、
 私の頭の中では全盲の場合しか想定されていなかった)

知人:「まず“座りますか”と手帳に書いて・・・」
そこでさえぎる私「いや、相手は視覚障害っつーか全盲で…」
さらにさえぎる知人「いやいや、その紙にこれを読み上げてくださいと書いて、
近くにいる聴者に読んでもらう」


おぉ!その手があったか!!

信念を曲げて発話するのではなく、
「聾だから」と諦めることもせず、
視覚障害者をこちらに無理矢理合わせることもせずに話しかける。

こんな答が即座に返ってきたことに感動しました。

※口話を使うことがいけないことというわけではありません。
ただ、彼女は当時ようやく聾プライドを構築しはじめた時期で、
なおかつ自分の音声言語が通じなかったという傷が
まだ生々しく残っているころだったので、
できる限り口話を使いたくなかったのです。



正直に言えば、多分これを実行にうつしたら、
読んでくださいと頼まれた晴眼の聴者が
いや私が立ちますとか言って譲っちゃうと思うんですよ。
たとえ疲れていても多少高齢でも。

なぜなら
障害者障害者に席をゆずろうとしているのに健常者の自分が、
しかも話しかけられたのに座っているのは居心地が悪い
から。

だけどもしも私がこの状況に居合わせたとしたら
(できるかぎり口話を避けたい親切で元気な聾者が
見た目からして座席を譲ったほうがよさそうな視覚障害者に
席を譲ろうとする場面にたまたま乗り合わせる可能性は低いけれど)
私は意地でも席を譲らずに居心地の悪さを黙殺して座り続けよう。
人目が気になるというそれだけの理由で、
「譲れるから譲った人」を「譲られるべき弱者」とみなすなど、絶対にしない。

と、決意しました。
それが晴眼の聴者たる私にできる最良の選択なのだと思います。


サイト内関連リンク
電車で視覚障害者を見かけたら1
電車で視覚障害者を見かけたら2
Aセクの対応(「Aセクへの」にあらず)


サイト外関連リンク
聴覚障害について考えるページ
龍の子学園(聾の子に手話教育保障しようというNPO)
posted by ヒギリ at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ほんの些細なこと

些細なことを気にするな!ってデカい声で他人に言う人は
些細なことを気にせず生きられるような大らかな人に違いない。

そういう人からすればいちいち些細なことを気にする人の
些細なことを気にする態度が気に障るんだろうけれど、
些細なことを気にせずに済むような大らかな人は
自分じゃない誰かがチマチマ気にしている些細なことに煩わされる必要はないと思う。
些細なことを気にしない能力があるんだから。

こっちはこっちで勝手に些細なことを気にし続けるから、
大らかな人は「誰かが些細なことを気にしている」などという
些細なことを気にせず大らかに生きればいい。

私は些細なことを気にしたいから、些細なことに照準を合わせる。


ていうかまあ、私が気にする些細なことは
私にとってはまったく些細なことではないから
実は些細なことだなんてサラサラ思っちゃいないんだけど。

posted by ヒギリ at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

え?え?隠すべき?

前回の補足というか関連話。

友人ふたりと話していたときのこと。
ひとりは私がAセクであることを知っています。
もうひとりには特に言っていません。
隠しているからじゃなくて、話題になったことがないから

んで、映画かなにかの話になったときに、
私が「これはAセクっぽい」とかなんとかポロっと言ったのです。
知らないほうの友人は「Aセク」という言葉も知らないから、
「ん?なにっぽい?」と聞き返し、
知っている友人は急いで話を逸らしてくれました。

それを聞いてちょっとアレ?と思ったんです。
少なくとも私は、その人たちに対しては隠そうという意思はなく、
ただ言ったことがないだけでした。
その人らと痴情をもつれさす予定もないし、
恋愛話もしないから話題になったことがないだけです。

だけど知っているほうの友人は私を「かばって」
バレないように「配慮」してくれている。
そんなら私は隠れてないといけないんだろうか。と感じたわけです。



あるいは高校は定時制に行ったと世間話で語ったとき。
「なんで?(定時に行くには特別な理由があるはず!)」と聞かれ
「中学行かなかったから(全日の授業なんざわからんので)」と答えれば
「辛いことをよく話してくれたね」と重々しく言われて似たような違和感を覚えました。
いやどっちかってーとひきこもり(これは言わなかった)から
一足飛びに高校に通いだした俺☆偉い!くらいの気持ちでいたんですけど。


性的指向も趣味も家族構成もアドレスも、
わざわざ言うときもあれば、あえて隠すこともあるし、
言ってもいいけど聞かれないから言わないだけのときもあります。

だけど「向こう」の一方的な判断で
隠したい(はずの)ことだから触れないであげよう、
隠してあげようと「配慮」されると、違うんだけどなあと思うんです。


隠してないのに隠されることは、
必死で隠しているのにバラされることよりは害が少ないから、
どうすればいいか迷ったら私も多分隠す「配慮」をします。
冒頭の友人もアウティングしないように気をつけてくれたのだと思います。
私が隠したがっているのかどうかを話し合ったことはないから。
でも私が言った言葉までわざわざ消してくれる必要はないのに。

どっちでもいいことを隠されるなら違和感があるだけですが、
頑張ってわざわざ言ったことを取り消された日には、
怒りや屈辱を感じたり地味にヘコんだりもするんです。


サイト内関連リンク
的を外した配慮は要らない
別物色眼鏡
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2007年11月05日

コエーリョ死観

そういやパウロ・コエーリョの『ベロニカは死ぬことにした』の中で、
自殺を図って精神病院に入院した娘に会いに来た母親と
医者の会話のシーンがありました。

「どうしてあんなことをしたのかわからないんです」という母親に
(人の話を聞いてない)医者が、
「娘さんはもう大人なんだからあなた(親)の責任じゃない」
みたいなことを言うんですが、
唐突に「インド人が、殺人者となった息子は、
両親の子育ての犠牲者だと信じてると思いますか?どうですか?」
と畳み掛けるように尋ねます。
母親は「はぁ?なに言ってんの?」みたいな困惑を浮かべますが
構わず続けてこの台詞。

「インド人は、社会でも、両親でも、先祖でもなく、その殺人者本人のせいだと信じてるんです。自分たちの息子がドラッグをやり、街へ出て人を撃ちまくれば、日本人は自殺しますか?答えは同じで、ノーです。我々がみな知っているように、日本人はすぐに自殺してしまうというのに。この前なんか、大学入試試験に失敗したという理由で自殺してるんです」


これはオハナシだから精神病や自殺のくだりなんかは全然あてにならないんだけど
(常に同一性を保った多重人格(解離性同一性障害)の人とか出てくるし)、
こう思われているのかというのが面白かったです。

日本で人を撃ちまくるのは難しいけれど、
少なくとも息子が人を殺したから自殺する親はいるよとツッコミを入れてしまいました。
周囲は親を責めるしねえ。
受験を苦に自殺する子も普通にいるよな、
受験の失敗で死ぬのは馬鹿げたことという認識なのか。と思いました。

まあ、死んじゃう人はなにかひとつの原因でというよりは、
積もり積もった死にたい気分が最後の一押し
(誰かの一言や失敗など「原因」とされる要因)で決壊しちゃうみたいですが。
だから、「なんでたかがこんなことで死んでしまうんだ」ってのは違うんです。

てなことを思い出した。



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2007年10月07日

カミサマ強し

公開中の映画『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』が
一部のシーンへの抗議を受けてポスターや予告編を作り直した。

というニュースを見ました。
問題になったのは鳥居で人が首吊りにされる場面。
以下一部引用。

 公開前の7月下旬、テレビCMなどで放映していた予告編やポスター、チラシの表現をめぐり、神主など神社関係者から4件の抗議が電子メールで寄せられた。抗議は「不適切な表現」「神聖な鳥居への冒涜(ぼうとく)」といった趣旨だったという。
 全国約8万の神社でつくる神社本庁も、ソニーなど製作委に「誰もが安心して気持ちよくご覧になれる映画の方がよろしいのではないか」と申し入れた。同庁は朝日新聞の取材に「表現の自由も大事だが、関係者がどう受け取るかも考える必要があるのではないか」と話した。

「鳥居で首つりやめて」映画に抗議 神社関係者「冒涜」
asahi.com 2007年10月07日08時00分


で、製作側は、これが冒涜じゃないことは
作品を観ればわかるので作品自体は変えないけれど、
「不快感を与えたことは申し訳ない」
として
多くの人が見る広告は作り直したんだそうです。

神社サイドからすれば不快に思うのは当然だし、そりゃ抗議もしますさ。
んで製作サイドは、それが表現上大事な部分ならなんとしてでも守ればいいし、
何も考えずにカッコいいよねと作っただけなら
謝って配慮した表現に変えれば良い。

広告だけ変えるというと
ちと表面だけ迎合して黙らせとけみたいな感じもするけれど、
それなりの対応はしていると思います。

前に週刊誌による名誉既存かなんかで、
「扇情的な見出しと記事自体の内容があまりにかけはなれているために、
たとえ記事の中で事実が書かれていても
(より多くの人が目にする)見出しが誤解を招く」
として訂正させた判例があったような気もします。


てことで特にどちらかに腹を立てているわけではないのだけれど、
なんとなーく釈然としません。
有体に言えば妬ましい。
抗議4件かー。バックに8万の神社がついているとはいえ。

ホモフォビアや男尊女卑だったら4件じゃ対応してくれないよね。

はたしてこれは数の論理なのか。
それとも「しちゃいけないこと」の度合いなのか。
実際に良いか悪いかではなく、「禁忌」の意識。

近所に神社があるものの、信仰とは近しくない私としては
鴨居で首をつるのも鳥居で首をつるのも大差ない。
はずなんだけど、鳥居のほうが「いけないこと」のような気がする。
(誰かの)信仰の場を荒らしているからという理由は後付けで、
感覚的に「良くないだろ」と思う。

感覚的なものは大概、刷り込みの結果です
学校やテレビや家で、「神社は神聖なところ」とか
「ホモはいじめてもいいよ」と陰に陽に教わりますから。
音楽や絵や服や料理のセンスだって、培われた「良いもの」に左右されます。
…まあ、味は体に必要なものが「おいしい」と認識される部分があるから
まさに「感覚的」とも言えるけれど。

信じて無くても小さい頃に教わったものって身に染み付いてしまう。
ただの板張りのスペースだってわかってるけど床の間は踏めません、とか。
ただの紙切れだってわかってるけど紙幣は破けません、とか。
ただのオッサンだってわかってるけどオヤジを殴れません、とか。
カレーの付いたスプーンを福神漬けの容器につっこめません、とか。

「みんな」がダメだと思っていることへの抗議は容れられやすいけど、
「みんな」がOKだと思っている差別への抗議は理解されにくい。

この「みんな」はその時々で多数派だったり力のある人たちだったりする。

うーでもなあ。
少しくらい否定されたってカミサマは怒らないと思うけど、
自分を否定するような言説を振りまかれるのは多大な迷惑なんだよう。
いや抗議しているのは神様じゃなくて信仰を否定された人たちだけど。
でもって信仰をバカにされたら抗議していいんだけど。

カミサマはいいなあ。
posted by ヒギリ at 13:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

なぜなら女子高生は特別な存在だからです

先日、京都で警察官が娘に斧で殺害されるという事件がありました。
それを受けて人気のあるアニメの放送が見合わされたそうです。
という記事を今更読む。

そのアニメに触発されて事件を起こしたというわけではないようですが、
まあ同時テロの時にシュワルツェネッガーの映画が公開を見送ったこともあったしね。

で、毎日から一部引用。

School Days:京都の父殺害事件で最終回の放送見送る 女子高生の暴力シーンを考慮

 京都府京田辺市で府警南署交通課の巡査部長(45)が専門学校生の次女(16)に殺害された事件を受け、テレビ神奈川は18日、女子高校生による暴力シーンがあるアニメ「School Days」の最終回の放送を見送った。同作はチバテレビ、テレビ愛知などでも放送中で、各局とも放送を見合わせる予定。

(略)

 テレビ神奈川では「最終回では、女子高生による暴力シーンがあり、血の色を赤でなく黒にするなど表現上、最大限の配慮をしていたが、京都の事件の直後でもあり、影響を考慮して休止を決めた。視聴者の皆さんにはご理解いただきたい」としている。

2007年9月19日 毎日新聞


私はその作品のタイトルも知らなかったので
(ニュースを見てむしろ「少女には向かない職業」を連想した)
どのくらい類似した内容なのかわかりませんが、
記事を読んだらちと疑問。

「女子高生による暴力シーンがあり」

…成人男性は毎日人を殺してるのに、
なんで毎日成人男性が人を殺すドラマやアニメや映画は平気で流れてるんだ?


女子高生は本来暴力をふるわない生き物なのに殺人を犯したからか?
方法が似ているからとかじゃなくて?
女子高生の暴力シーンから現実の親殺しを連想するから?

関係者が不快に感じるということでいえば、
他の殺人も同じことだと思うのだけれど。

被害者とも加害者ともなんら関係を持たずに平和に暮らせる身分からすれば、
成人男性の殺人なんてありふれていてそれだけじゃ特徴にならないし、
いちいち現実とドラマをつなぎあわせたりしないけれど、
関係者からすれば「殺人」というだけで
殺したり殺されたりした人を連想する
と思うのです。

誰に対するどんな影響を懸念したんだろう。
わかんないなー。

サイト内関連リンク
女性は優しい生物でその源はブラジャーです
posted by ヒギリ at 23:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月24日

「意思表明が難しい」なら?

札幌聾学校で女児に体罰 男性教諭、別の2教諭も疑い

 札幌市北区の北海道札幌聾学校(秋田茂校長)で、男性教諭(54)が小学部低学年の女子児童に対し、たたくけるの体罰を加えていたことが24日分かった。別の教諭2人も体罰を行っていた疑いが強く、秋田校長は責任をとって31日付の退職願を道教育委員会に提出した。道教委は「意思表明が難しい障害児への体罰は問題が深刻だ」(教職員課)として関係教諭の処分を検討する。

KYODO NEWS 2007年8月24日(金)11:57



体罰がだめなのは当然として、
道教委の「意思表明が難しい障害児」ってコメントがちょっと気になる。

たしかに声が出せない子の場合はその場で助けを求めるのが難しいし、
耳が聞こえなくて知的障害もあるなどの重複障害の子もいるし、
耳が聞こえないことに適切に対処してもらえないと
言語の習得が難しい(→意思表示が難しい)という場合もあるし
たしかに深刻なんだけれど。

以前にも聾学校の制服を来た女子を狙った痴漢なんてのがいました。
映画や漫画なんかでも聾者を
耳が聞こえない=喋れない=意思表示できない
として描いたり、殺人事件の目撃者の喉をつぶして
証言できないようにしたりなんて話がある(あった?)そうです。
が、手話なり口話なり紙に書くなり
意思表示の手段なんてどうにでもなります

けれど「意思表明が難しいだろう」という考えに基づいて
聾者や障害児や子供全般を狙うやつもいるわけで、
「意思表明が難しいからこういう対策を取る/取っている」とか
「意思表明が難しいからこういう支援が必要だ」という文脈以外で
あまり意思表明が難しいって言わないほうがいいような気がするんだけどなあ。

まあ聞こえようが聞こえまいが喋れようが喋れまいが
子供の意思表示、特に身近な大人から被害を受けた場合、
その訴えを信じようとしない大人なんていくらでもいるし、
子供の言葉なんて聞く気のない大人には伝わらないもんだけど。

意思表示が難しいと思うなら、
体罰をさせないとかした教員を罰するということも大事だけれど、
(聾以外の子も含めて)意思表示できるように教えるとか
意志を汲みとりやすい体制を作ることのほうが重要だと思います。

なんだかこのコメントは
聾=意思表示が難しいというイメージを強調してしまうようで違和感があります。


↓参考 セルロイドクローゼットの聾者版みたいな本

posted by ヒギリ at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 差論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
タグクラウド
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