天気予報というやつは統計で、
降水確率が20パーセントってのはつまり、
過去のこの時期あの辺に高気圧があって
そっちからあっちにこの強さの風が吹いた場合
この場所では5回に1回ほど雨が降ったよ
(だから明日もそんな感じなんじゃないかな)という経験則だ。
精度を高めた膨大な量の気象データをもとに
いろんな要因を加味した複雑な計算をしているというだけで
「朝焼けは雨、夕焼けは晴れってじいちゃんに教わったよ」
と基本的には変わらない。
ということは、吹くはずの風が吹かなかったり
妙に気温が高かったりする温暖化だの異常気象だのという事態になれば、
過去のデータはあてにならない。
子供の未来だって似たようなもので、
属性が変わらなくても社会が変われば未来や可能性は変わる。
(個人差はいつだってあるけれど、その辺は目をつぶって
おおまかな種類別で傾向を見たときの話)
「能力のない」子供たち、どうせできないから「しなくていい」と
教育や単純労働以外の仕事や社会から締め出されていた女児や障害児は、
義務教育や参政権や男女雇用機会均等法や
電子機器の進化や交通・建築の整備によって
働いたり出歩いたりできるようになった。
今の法則がこうだから、未来もその法則が有効だとは限らない。
まして社会状況がこうだから、その集団はああなるはずだなんて言えないし、
それが不平等で不利益になることであれば公の立場が言っていいことじゃない。
これは論理じゃなくて倫理の話。
関係ある話
⇒表層だけで裁かないために知識をもて
⇒数式の正しさと数字を使った理論の正しさ
2010年09月22日
2010年08月19日
自分と他者と語りと距離感
ロマへの差別をユダヤ人差別になぞらえる違和感の続き。
⇒まるでひどい差別のようにひどい差別
出来事のひどさや例え話の問題点とは別に「なんか変だ」と感じたのは、
対象(この場合はロマ)への見方の部分だ。
距離が遠い。関心が薄い。
「報道」と「無関心」がうまく噛み合わない。
報道は(誰の関心かはさておき)関心があるから伝えるわけで、
報道が関心を持たないものはニュースにならない。
ニュースになっているのに関心が薄いのがよくわからない。
言葉の選び方に顕著に現れる目配りの甘さは、ロマへの無関心によるものだろうと思う。
まあおしごとだからね。
なんでも興味関心を持って調べて熱意を持ってというわけにはいかないだろうけど、
私はタブロイドじゃない新聞で海外ニュースを書く記者に
「生活のため」よりもお仕事したいんです!という
やる気と能力にあふれた人が志すものという偏見を持っているので、
余計に違和感があるのかもしれない。
でも記事を読み返したら
「ロマへの人種差別的な扱い」ではなく
「フランス(サルコジ政権)の右傾化」のニュースのような気もしてきた。
だとしたらロマが添え物になるのもうなずける。
それでもこの書き方はどうかと思うけど。
書いたり語ったりしているのに、
その対象への関心がない、もしくは薄いように見えるというのは、
「テーマ」と「論点」の違いみたいなものだ。
対象(テーマ)について語っているように見えるけれど、語りたいこと(論点)は違う。
私はこの記事をロマについての話だと思った。
でも論点はサルコジの右傾化だった(のかもしれない)。
この件はたぶん私の読み違いだけど、
語り手がそこを区別できなかったり故意に混同したりすることもよくある。
対象にかこつけて持論を語るなど。
それは必ずしも悪いことではなく、
たとえばフランスが悪の枢軸で共産主義のアナーキストの異教徒の
テロリストの独裁ファシズム帝国で言論封殺されてるよとかいう状況下だったら、
FBIの特別高等CIAにひっぱられないように
ナチス批判の皮を被ってサルコジ批判をするよというのも有りだ。
嫌なパターンは自分しか見えていないケース。
趣味の話と見せかけて「こんなに知ってる俺すごい」だったり、
脳内若者を非難するために「美しい日本人」の象徴としての「英霊」を呼び出したり
感動するためにうら若い恋人の病死を見物したり障害者をがんばらせたり
自分の習慣と相容れないものを叩くために家族の崩壊を唱えたりすること。
方向音痴な熱意に満ち溢れた正義面の自称代弁者も、
脳内当事者のイメージをもとに持論を訴えるだけで
当事者を見ようとしないという点で「無関心」と同じ。
当事者(対象)は自分語り(テーマ)の材料に過ぎない。
っていう嫌さと同じ臭いをロマ摘発の記事に感じたんだけど、
うーん。悪意や正義や愚痴のために使うのとは違う。
やっぱりただ薄いっていうだけなんだろうか。わからーん。
他人を盾にして持論を語るなという話
⇒英霊てらもえす(「英霊」の話)
⇒現状の生きづらさを強化する善意はもはや悪行(「障害」の話)
⇒人間は犬に食われるほど自由じゃない今日この頃(「家族」の話)
⇒ゆう子あい子りょう子けい子まち子かずみひろ子まゆみ(「DQNネーム」の話)
⇒まるでひどい差別のようにひどい差別
出来事のひどさや例え話の問題点とは別に「なんか変だ」と感じたのは、
対象(この場合はロマ)への見方の部分だ。
距離が遠い。関心が薄い。
「報道」と「無関心」がうまく噛み合わない。
報道は(誰の関心かはさておき)関心があるから伝えるわけで、
報道が関心を持たないものはニュースにならない。
ニュースになっているのに関心が薄いのがよくわからない。
言葉の選び方に顕著に現れる目配りの甘さは、ロマへの無関心によるものだろうと思う。
まあおしごとだからね。
なんでも興味関心を持って調べて熱意を持ってというわけにはいかないだろうけど、
私はタブロイドじゃない新聞で海外ニュースを書く記者に
「生活のため」よりもお仕事したいんです!という
やる気と能力にあふれた人が志すものという偏見を持っているので、
余計に違和感があるのかもしれない。
でも記事を読み返したら
「ロマへの人種差別的な扱い」ではなく
「フランス(サルコジ政権)の右傾化」のニュースのような気もしてきた。
だとしたらロマが添え物になるのもうなずける。
それでもこの書き方はどうかと思うけど。
書いたり語ったりしているのに、
その対象への関心がない、もしくは薄いように見えるというのは、
「テーマ」と「論点」の違いみたいなものだ。
対象(テーマ)について語っているように見えるけれど、語りたいこと(論点)は違う。
私はこの記事をロマについての話だと思った。
でも論点はサルコジの右傾化だった(のかもしれない)。
この件はたぶん私の読み違いだけど、
語り手がそこを区別できなかったり故意に混同したりすることもよくある。
対象にかこつけて持論を語るなど。
それは必ずしも悪いことではなく、
たとえばフランスが悪の枢軸で共産主義のアナーキストの異教徒の
テロリストの独裁ファシズム帝国で言論封殺されてるよとかいう状況下だったら、
FBIの特別高等CIAにひっぱられないように
ナチス批判の皮を被ってサルコジ批判をするよというのも有りだ。
嫌なパターンは自分しか見えていないケース。
趣味の話と見せかけて「こんなに知ってる俺すごい」だったり、
脳内若者を非難するために「美しい日本人」の象徴としての「英霊」を呼び出したり
感動するためにうら若い恋人の病死を見物したり障害者をがんばらせたり
自分の習慣と相容れないものを叩くために家族の崩壊を唱えたりすること。
方向音痴な熱意に満ち溢れた正義面の自称代弁者も、
脳内当事者のイメージをもとに持論を訴えるだけで
当事者を見ようとしないという点で「無関心」と同じ。
当事者(対象)は自分語り(テーマ)の材料に過ぎない。
っていう嫌さと同じ臭いをロマ摘発の記事に感じたんだけど、
うーん。悪意や正義や愚痴のために使うのとは違う。
やっぱりただ薄いっていうだけなんだろうか。わからーん。
他人を盾にして持論を語るなという話
⇒英霊てらもえす(「英霊」の話)
⇒現状の生きづらさを強化する善意はもはや悪行(「障害」の話)
⇒人間は犬に食われるほど自由じゃない今日この頃(「家族」の話)
⇒ゆう子あい子りょう子けい子まち子かずみひろ子まゆみ(「DQNネーム」の話)
ラベル:報道
2010年07月28日
現状の生きづらさを強化する善意はもはや悪行
偽善が嫌なのは善意が偽物だからじゃなくて、善行になってないから。
24時間テレビが嫌なのは、商業だからじゃなくて「ためにならない」から。
たとえば障害の扱いは障害者を映すだけで、
障害者も生きやすい世界を作るための啓発にはなっていない。
お涙頂戴のドラマが「おかわいそうな障害者」というイメージを強化させる。
「障害に負けずに頑張る姿をみると心が洗われる」
と言いたいがために、障害者に代表されるマイノリティを
「困難」の中に落としこめて頑張らせる。
そこまで頑張らなくては生きていけない現状は気にも留めず
「泣ける」病気や障害やマイノリティだけを美しく描く。
そのイメージが流布されることによって対象にされた集団が生きづらくなるのなら
個々の出演者や視聴者が善意しか持たなかったとしても結果として有害だ。
困ってる人はお前の心の掃除のために存在する雑巾じゃないよ。
感動オナニーが気持ち悪いだけなら「嫌なら見なけりゃいいじゃん」で済む。
でもそれだけの話じゃない。
テレビ番組はせいぜい一日やそこらの祭りにすぎないけれど、
影響はその日限りではない。(これはひとつの番組だけの責任ではない)
出演する障害者(や病人その他)には、
オカズにされるのを承知の上でそれでも伝えたいことがあるだとか、
付き合いの関係で出演依頼を断れなかったとか、
単にテレビに出てみたいとかアイドルに会えるかもとか様々な動機がある。
出るのが悪いんじゃなくて、切り取り方・扱われ方がひどい。
あの手の番組は実在の人を使った私小説に近いフィクションだけど、
そういうことは「善意の一般健常視聴者」には伝わらない。
番組が終わっても、泣けそうなマイノリティは十把ひとからげにオカズにされる。
影響された一般健常視聴者の感動オナニーに
日常生活の中でまでつき合わされるのはたまらない。
四六時中オカズにされる
(あるいはオカズにできるかどうかで価値判断されて、
あれじゃ抜けないもっと清貧であれと要求される)世界はとても生きづらい。
サイト内関連リンク
⇒不幸「なのに」明るい人(を見るの)がだいすきです
⇒感動マッチポンプ
24時間テレビが嫌なのは、商業だからじゃなくて「ためにならない」から。
たとえば障害の扱いは障害者を映すだけで、
障害者も生きやすい世界を作るための啓発にはなっていない。
お涙頂戴のドラマが「おかわいそうな障害者」というイメージを強化させる。
「障害に負けずに頑張る姿をみると心が洗われる」
と言いたいがために、障害者に代表されるマイノリティを
「困難」の中に落としこめて頑張らせる。
そこまで頑張らなくては生きていけない現状は気にも留めず
「泣ける」病気や障害やマイノリティだけを美しく描く。
そのイメージが流布されることによって対象にされた集団が生きづらくなるのなら
個々の出演者や視聴者が善意しか持たなかったとしても結果として有害だ。
困ってる人はお前の心の掃除のために存在する雑巾じゃないよ。
感動オナニーが気持ち悪いだけなら「嫌なら見なけりゃいいじゃん」で済む。
でもそれだけの話じゃない。
テレビ番組はせいぜい一日やそこらの祭りにすぎないけれど、
影響はその日限りではない。(これはひとつの番組だけの責任ではない)
出演する障害者(や病人その他)には、
オカズにされるのを承知の上でそれでも伝えたいことがあるだとか、
付き合いの関係で出演依頼を断れなかったとか、
単にテレビに出てみたいとかアイドルに会えるかもとか様々な動機がある。
出るのが悪いんじゃなくて、切り取り方・扱われ方がひどい。
あの手の番組は実在の人を使った私小説に近いフィクションだけど、
そういうことは「善意の一般健常視聴者」には伝わらない。
番組が終わっても、泣けそうなマイノリティは十把ひとからげにオカズにされる。
影響された一般健常視聴者の感動オナニーに
日常生活の中でまでつき合わされるのはたまらない。
四六時中オカズにされる
(あるいはオカズにできるかどうかで価値判断されて、
あれじゃ抜けないもっと清貧であれと要求される)世界はとても生きづらい。
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⇒感動マッチポンプ
2009年03月29日
善良を強いる人は善良じゃない
私は「普通」を強いることを全否定するけれど、
「普通」を選ぶ人を否定しているわけじゃない。
文字の書き順を子どもに教えるのは、その書き方が正義だからではなく
それが一番合理的で綺麗に書ける順番だからだ。
けれど書き順どおりの書き方が左利きの人にとっても
書きやすいかといえば必ずしもそうじゃない。
私はこの書き方が一番書きやすかったから
この書き方を教えておくよってのは親切。
それ以外を認めないのは、ただの支配だし目的を見失っている。
大事なのは書きあがった文字が読めるかどうかで、
それより更に大事なのは内容で、
書き順なんて読み手には問題じゃない。
正しい順番で書いた激烈な達筆よりも、
めちゃくちゃな順番で丁寧に書いた子どもの字の方が読みやすいなんてよくあることだ。
婚姻した夫婦から血のつながった子どもが
健康に生まれてきて健康に育ててもらえるのは健全。
それ以外を否定するのは不健全。
産みたい人が産めて、
育てられない人から生まれた子は他の人に育ててもらえて、
産みたくない人は産まなくてよくて、
そのための知識や支援を手に入れられるのが健全。
産みたくない人が産まなきゃいけなかったり、
育てられもしないのに産むはめになったり、
結婚して生み育てないのは不健全なんて言える社会は健全じゃない。
「普通」を選ぶ人を否定しているわけじゃない。
文字の書き順を子どもに教えるのは、その書き方が正義だからではなく
それが一番合理的で綺麗に書ける順番だからだ。
けれど書き順どおりの書き方が左利きの人にとっても
書きやすいかといえば必ずしもそうじゃない。
私はこの書き方が一番書きやすかったから
この書き方を教えておくよってのは親切。
それ以外を認めないのは、ただの支配だし目的を見失っている。
大事なのは書きあがった文字が読めるかどうかで、
それより更に大事なのは内容で、
書き順なんて読み手には問題じゃない。
正しい順番で書いた激烈な達筆よりも、
めちゃくちゃな順番で丁寧に書いた子どもの字の方が読みやすいなんてよくあることだ。
婚姻した夫婦から血のつながった子どもが
健康に生まれてきて健康に育ててもらえるのは健全。
それ以外を否定するのは不健全。
産みたい人が産めて、
育てられない人から生まれた子は他の人に育ててもらえて、
産みたくない人は産まなくてよくて、
そのための知識や支援を手に入れられるのが健全。
産みたくない人が産まなきゃいけなかったり、
育てられもしないのに産むはめになったり、
結婚して生み育てないのは不健全なんて言える社会は健全じゃない。
2009年03月21日
ここはどこ?あなたはだれ?
少数派の人は、自分たちについて・多数派についてとてもよく考えている。
多数派を理解するために・自分を説明できるように。
まあ全員とは言わないけれども考えなくちゃいられないタイプの人は。
自分の性質について理解を深めることはとても大切だ。
自分と違う人の性質について理解することも同じくらい大切。
自分を知らなければ相手との違いがわからないし、
その逆もまたしかり。
自分が少数派のときも、多数派のときも
私は少数派の人たちが必死で考えた言葉たちの恩恵を受けている。
誰かが先に言葉を作ってくれたお陰で
考えなくて済んだり、説明しなくて済んだりすることが多々ある。
説明してもらって初めてあれはそういう意味かと理解したり、
これはこう説明すればいいのかと安心したりできる。
他人との相互理解に役立たなくても、自分が納得できればだいぶ楽になる。
少数派についてであれ多数派についてであれ、
考えて言葉にして展示してくれるのは、
ほとんどが少数派(もしくは弱者)だ。
多数派ってそういうことを考えないんだよな。
少数派ってなにかんがえてるのー?どんないきものなのー?
などと気軽に聞いてきやがるばかりで、
自分がどんな思考を持っているのか、
自分がどんないきものなのかなんて、ちっとも考えやしない。
考えなくても生きていけるから、考えようって発想がそもそもない。
「私とあなたが違う」んじゃなくて「あなたが普通と違う」と思ってる。
違うことに気づかないのはある程度仕方ない。
自分と違う人がいるなんて眼中に無かったんだから。
でも、違うことに気づいたのに相手にばかり説明を求めるのはおかしいだろ。
「ほんのう」「ふつう」「あたりまえ」なんて説明にならない。
それが「あなたの」当たり前だってことくらい承知している。
これが「私のあたりまえ」だってことを理解できない「あなた」はたくさんいるけど。
私は恋愛を必要としないタイプなのに、
きっと頭がお花畑の人と同じくらい恋愛や性愛について考えている。
考えないと理解できないし、
私は知らないことに飛び込んでいけるタイプではないから。
知らないことは怖いことだから、説明をつけたくて考える。
多数派と少数派は、多数派の方が多いんだから
考える頭もそれだけたくさんあるのに、少数派ばかりが説明を求められる。
考えなきゃ・説明しなきゃ・主張しなきゃ
自分の存在に気づかれないことの非対称性については、
腹が立つけれど仕方ないと思う。
私がいるってことすら知らない人はいくらでもいるから。
でも、相互理解のための考察・説明を
片方だけがしなきゃいけないという非対称は釈然としない。
理解しなくたってそのまんま
自分も相手もそこにあるという状態でいられる人なら
相互理解なんてしなくていいんだけどさ。
自分の側にひきよせたり、
自分が納得できる説明をしてもらわなくちゃ気がすまない人たちは、
自分が理解できるように噛み砕いて説明してくれないなんてヒドイ!
なんて幼稚なワガママを言ってないで、
せめて自分で考えることくらいはすべきだと思うよ。
サイト内関連リンク
⇒恋に落ちるのに理由が必要かい?
多数派を理解するために・自分を説明できるように。
まあ全員とは言わないけれども考えなくちゃいられないタイプの人は。
自分の性質について理解を深めることはとても大切だ。
自分と違う人の性質について理解することも同じくらい大切。
自分を知らなければ相手との違いがわからないし、
その逆もまたしかり。
自分が少数派のときも、多数派のときも
私は少数派の人たちが必死で考えた言葉たちの恩恵を受けている。
誰かが先に言葉を作ってくれたお陰で
考えなくて済んだり、説明しなくて済んだりすることが多々ある。
説明してもらって初めてあれはそういう意味かと理解したり、
これはこう説明すればいいのかと安心したりできる。
他人との相互理解に役立たなくても、自分が納得できればだいぶ楽になる。
少数派についてであれ多数派についてであれ、
考えて言葉にして展示してくれるのは、
ほとんどが少数派(もしくは弱者)だ。
多数派ってそういうことを考えないんだよな。
少数派ってなにかんがえてるのー?どんないきものなのー?
などと気軽に聞いてきやがるばかりで、
自分がどんな思考を持っているのか、
自分がどんないきものなのかなんて、ちっとも考えやしない。
考えなくても生きていけるから、考えようって発想がそもそもない。
「私とあなたが違う」んじゃなくて「あなたが普通と違う」と思ってる。
違うことに気づかないのはある程度仕方ない。
自分と違う人がいるなんて眼中に無かったんだから。
でも、違うことに気づいたのに相手にばかり説明を求めるのはおかしいだろ。
「ほんのう」「ふつう」「あたりまえ」なんて説明にならない。
それが「あなたの」当たり前だってことくらい承知している。
これが「私のあたりまえ」だってことを理解できない「あなた」はたくさんいるけど。
私は恋愛を必要としないタイプなのに、
きっと頭がお花畑の人と同じくらい恋愛や性愛について考えている。
考えないと理解できないし、
私は知らないことに飛び込んでいけるタイプではないから。
知らないことは怖いことだから、説明をつけたくて考える。
多数派と少数派は、多数派の方が多いんだから
考える頭もそれだけたくさんあるのに、少数派ばかりが説明を求められる。
考えなきゃ・説明しなきゃ・主張しなきゃ
自分の存在に気づかれないことの非対称性については、
腹が立つけれど仕方ないと思う。
私がいるってことすら知らない人はいくらでもいるから。
でも、相互理解のための考察・説明を
片方だけがしなきゃいけないという非対称は釈然としない。
理解しなくたってそのまんま
自分も相手もそこにあるという状態でいられる人なら
相互理解なんてしなくていいんだけどさ。
自分の側にひきよせたり、
自分が納得できる説明をしてもらわなくちゃ気がすまない人たちは、
自分が理解できるように噛み砕いて説明してくれないなんてヒドイ!
なんて幼稚なワガママを言ってないで、
せめて自分で考えることくらいはすべきだと思うよ。
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⇒恋に落ちるのに理由が必要かい?
2009年03月12日
名前を呼んではいけない例の…え、アタシ?
好きな本が20年位前に映像化されていたことに
今更ながら気づいたので観賞してみた。
ちなみに原作も映像も日本の作品。
エンドクレジットに違和感を覚えてもう一度よく見たら、
キャラクターの名前が違っている。ような気がする。
うんやっぱ違うよ。このキャラ好きだったもの。
同じ音だけど漢字が違う。
これは誤字か、はたまた記憶違いかとネットで検索してみたら、
キャラクターの名前が差別語だか放送コードに引っかかるだかで
映像版では変えたらしいよという情報を得る。
図書館戦争シリーズのどこかに
「床屋を理髪店に言い換えろって言われたけどオレ的にはウチは床屋なんだよね」
というエピソードがあったのだけれど、そんな感じか。
…ていうか名前なのに。普通の名字なのに。
「屋」のつく名字が「矢」に変わっていて、
ついでに「や」の前の漢字も変化していた。
ちゃんと理由のある名前だから、漢字を変えては背景が違ってしまうのに。
まあストーリー上の重要な背景じゃなくて、洒落みたいなもんだけど。
私は「床屋」や「不動産屋」のどこがいけないのかわからないし、
「お百姓さん」が出てくる本で育ったし、
「文盲」を変換できないワープロソフトにイラつく。
だけど、私は農家や商家で生まれ育ったわけじゃない。
文字を読めるし目も見える。
それらが実際に差別語だったとしても理由を教えてもらわなければ
(ヘタをすると教えてもらってさえ)
どこがいけないのかなんてわからないのだと思う。
それこそ
「なんでホモっていっちゃいけないの?悪気なんかないのに」
くらいのレベルで。
だからまったく無関係な第三者の立場で
なにが差別かなんて判断できないということは承知している。
それでも名字を「いっちゃいけない言葉」にしちゃうのはおかしいと思うんだ。
私は私の名前をケガレみたいに扱われたくない。
ああ嫌だなと強く感じたのは、
名前を調べたときに見かけたファンサイトの中で
このキャラクターの名前は差別用語らしい
→このキャラクターは被差別者
→みんなに差別されるかわいそうな子萌え〜
のような思考がいくつかみられたから。
そのキャラクターと恋人の関係が
「差別される人と、それにもかかわらず受け入れてあげる人」
と読み変えられてしまっているものもあった。
原作にも映像にもそんなエピソードはないのに。
みんなに嫌われる君(私)でさえ僕(あなた)だけは受け入れてあげる(くれる)
とかいう中二的な絆に萌えたって別にいいんだけどさ。
最初からそのように描かれたのではないものにまで
勝手に当てはめてしまうことが嫌だ。
自分で突き飛ばした相手を助け起こしてあげるおやさしい人みたいで。
萌えどころなんて人それぞれだし、
二次創作で遊郭パロだろうがエロだろうがロリ化女体化だろうが好きにすればいい。
でもそういうのはあくまで原作の設定を使った妄想や遊びとして、
その認識を共有している人同士でやるからアリなのであって、
妄想に基づいて原作を解釈するのはおかしい。
…ちょっと違うか。原作の解釈も自由なんだけど。
この場合、「出せない名前」として扱われたせいで
「被差別者」が裏設定であるかのように認識されてしまったことが問題なんだ。
本来ただの名前だったものが、
よくわからない「配慮」のおかげでスティグマに変わってしまっている。
「配慮」だか「倫理」だかいう綺麗事のせいで「差別される人」にされるなんて、
それじゃあ本末転倒じゃないか。
そもそもそれが誰に対する配慮なのかってとこからして私には見えない。
被差別萌えの人たちはこの名前がなくたって
どこからでも「かわいそうなひと」を見つけてきて萌えるものだから、
私がみかけた人だってたまたまこのキャラクターに萌えていただけで、
別のタイミングなら病人や獣人や人柱に萌えていたんだろう。
それでも、被差別萌えの人たちに、
「この名前」を差別される人として認識させてしまったのは
この「配慮」なんだよ。
サイト内関連リンク
⇒的を外した配慮は要らない
⇒感動マッチポンプ
今更ながら気づいたので観賞してみた。
ちなみに原作も映像も日本の作品。
エンドクレジットに違和感を覚えてもう一度よく見たら、
キャラクターの名前が違っている。ような気がする。
うんやっぱ違うよ。このキャラ好きだったもの。
同じ音だけど漢字が違う。
これは誤字か、はたまた記憶違いかとネットで検索してみたら、
キャラクターの名前が差別語だか放送コードに引っかかるだかで
映像版では変えたらしいよという情報を得る。
図書館戦争シリーズのどこかに
「床屋を理髪店に言い換えろって言われたけどオレ的にはウチは床屋なんだよね」
というエピソードがあったのだけれど、そんな感じか。
…ていうか名前なのに。普通の名字なのに。
「屋」のつく名字が「矢」に変わっていて、
ついでに「や」の前の漢字も変化していた。
ちゃんと理由のある名前だから、漢字を変えては背景が違ってしまうのに。
まあストーリー上の重要な背景じゃなくて、洒落みたいなもんだけど。
私は「床屋」や「不動産屋」のどこがいけないのかわからないし、
「お百姓さん」が出てくる本で育ったし、
「文盲」を変換できないワープロソフトにイラつく。
だけど、私は農家や商家で生まれ育ったわけじゃない。
文字を読めるし目も見える。
それらが実際に差別語だったとしても理由を教えてもらわなければ
(ヘタをすると教えてもらってさえ)
どこがいけないのかなんてわからないのだと思う。
それこそ
「なんでホモっていっちゃいけないの?悪気なんかないのに」
くらいのレベルで。
だからまったく無関係な第三者の立場で
なにが差別かなんて判断できないということは承知している。
それでも名字を「いっちゃいけない言葉」にしちゃうのはおかしいと思うんだ。
私は私の名前をケガレみたいに扱われたくない。
ああ嫌だなと強く感じたのは、
名前を調べたときに見かけたファンサイトの中で
このキャラクターの名前は差別用語らしい
→このキャラクターは被差別者
→みんなに差別されるかわいそうな子萌え〜
のような思考がいくつかみられたから。
そのキャラクターと恋人の関係が
「差別される人と、それにもかかわらず受け入れてあげる人」
と読み変えられてしまっているものもあった。
原作にも映像にもそんなエピソードはないのに。
みんなに嫌われる君(私)でさえ僕(あなた)だけは受け入れてあげる(くれる)
とかいう中二的な絆に萌えたって別にいいんだけどさ。
最初からそのように描かれたのではないものにまで
勝手に当てはめてしまうことが嫌だ。
自分で突き飛ばした相手を助け起こしてあげるおやさしい人みたいで。
萌えどころなんて人それぞれだし、
二次創作で遊郭パロだろうがエロだろうがロリ化女体化だろうが好きにすればいい。
でもそういうのはあくまで原作の設定を使った妄想や遊びとして、
その認識を共有している人同士でやるからアリなのであって、
妄想に基づいて原作を解釈するのはおかしい。
…ちょっと違うか。原作の解釈も自由なんだけど。
この場合、「出せない名前」として扱われたせいで
「被差別者」が裏設定であるかのように認識されてしまったことが問題なんだ。
本来ただの名前だったものが、
よくわからない「配慮」のおかげでスティグマに変わってしまっている。
「配慮」だか「倫理」だかいう綺麗事のせいで「差別される人」にされるなんて、
それじゃあ本末転倒じゃないか。
そもそもそれが誰に対する配慮なのかってとこからして私には見えない。
被差別萌えの人たちはこの名前がなくたって
どこからでも「かわいそうなひと」を見つけてきて萌えるものだから、
私がみかけた人だってたまたまこのキャラクターに萌えていただけで、
別のタイミングなら病人や獣人や人柱に萌えていたんだろう。
それでも、被差別萌えの人たちに、
「この名前」を差別される人として認識させてしまったのは
この「配慮」なんだよ。
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⇒的を外した配慮は要らない
⇒感動マッチポンプ
2008年08月15日
感動マッチポンプ
不幸「なのに」明るい人(を見るの)がだいすきです
という文をこのまえ書いたのだけれど、
読み返したらちょっとわかりにくかったのと、
自分のイラつきポイントはここか!ってのがあったので補足。
「目が見えないのに明るい」という言葉(を使うメンタリティ)にイラつくのは、
1、障害者に明るさや健気さを求める(いい障害者だから認めてあげる)
2、障害者に暗さや不幸を求める(かわいそうに。私は不幸じゃなくて良かった)
3、勝手に暗さの中に押し込めておきながら明るくなれと求める。
4、その「明るさ」に勇気付けられたり励まされたりしたがる。
という辺りが鼻につくからだ。
視覚障害とか障害だけじゃなくて、マイノリティ全般の話。
頑張っている人をみて、
ああすげぇな格好いいな自分も頑張ろうって思うことはある。
でもそういうのは頑張っている人をみて感動してから思えばいいことで、
感動するために頑張らせるなよと思うわけだ。
コメントをいただいて、
「不幸なのに明るい」だけじゃなくて
「不幸だから不幸な顔をしろ」と求められることもあることに気がついた。
で、「不幸なのに明るい」も「不幸だから暗く」もベクトルが違うだけで
困難に打ち勝つ姿をみて感動したいがために、
あるいは困難に打ちひしがれる姿を見て安心したいがために
困難(現実の困難であれ困難というイメージであれ)の中に
他人を押し込めようとするという点において、
言う側としてはおんなじなんだよなってことを思った。
勝手に押しつけたイメージによって
(あるいはそのイメージに添った言動をとるか否かによって)
褒め称えたり非難したりする身勝手さと無自覚さが途方もなく嫌だ。
なんかね。蟻地獄に蟻を放り込んで、
必死で這い上がろうとする姿に感動してるみたいな気持ち悪さ。
テメェで放り込んでおいてなんで感動できるかな。
あまつさえ「手を貸しましょうか」とか言うやつまでいるし。
しかもその貸した手が蜘蛛の糸だったりするし。
いや手を貸すこと自体はいいんだけど、その前にそもそも放り込むなよと。
しかも助けてやるかどうかを美意識で選別するなよと。
放り込まないまでも蟻がかかっていることを期待してのぞきこんでいるのに
「ああなんてかわいそう」とか「がんばるすがたはうつくしい」とか
きれいなこころで言っちゃえるのは悪趣味すぎやしないか。
みんな他人に勝手なイメージをもっているもんだし、
予断や思い込みなしに物事を見るなんて無理なんだけど、
そのイメージにあわせなきゃ認めねえぜって圧力が強すぎる状況はいただけない。
「日本人はみんなカラテの達人」とかいうイメージだったら
「いや違うし」「できないし」で終われる。
でも「カラテができない日本人なんて認めない」とかってなると困る。
ひとりやふたりならコイツなに言ってんの?でいいけど、
たくさんの人に言われる圧力はけっこう怖い。
がんばって空手を習得することもできるけど、向き不向きはあるし
そもそも他人の期待ために空手好きを演じなきゃいけないってことが
どうしようもなく理不尽なんだ。
サイト内関連リンク
⇒不幸「なのに」明るい人(を見るの)がだいすきです
⇒名前を呼んではいけない例の…え、アタシ?
という文をこのまえ書いたのだけれど、
読み返したらちょっとわかりにくかったのと、
自分のイラつきポイントはここか!ってのがあったので補足。
「目が見えないのに明るい」という言葉(を使うメンタリティ)にイラつくのは、
1、障害者に明るさや健気さを求める(いい障害者だから認めてあげる)
2、障害者に暗さや不幸を求める(かわいそうに。私は不幸じゃなくて良かった)
3、勝手に暗さの中に押し込めておきながら明るくなれと求める。
4、その「明るさ」に勇気付けられたり励まされたりしたがる。
という辺りが鼻につくからだ。
視覚障害とか障害だけじゃなくて、マイノリティ全般の話。
頑張っている人をみて、
ああすげぇな格好いいな自分も頑張ろうって思うことはある。
でもそういうのは頑張っている人をみて感動してから思えばいいことで、
感動するために頑張らせるなよと思うわけだ。
コメントをいただいて、
「不幸なのに明るい」だけじゃなくて
「不幸だから不幸な顔をしろ」と求められることもあることに気がついた。
で、「不幸なのに明るい」も「不幸だから暗く」もベクトルが違うだけで
困難に打ち勝つ姿をみて感動したいがために、
あるいは困難に打ちひしがれる姿を見て安心したいがために
困難(現実の困難であれ困難というイメージであれ)の中に
他人を押し込めようとするという点において、
言う側としてはおんなじなんだよなってことを思った。
勝手に押しつけたイメージによって
(あるいはそのイメージに添った言動をとるか否かによって)
褒め称えたり非難したりする身勝手さと無自覚さが途方もなく嫌だ。
なんかね。蟻地獄に蟻を放り込んで、
必死で這い上がろうとする姿に感動してるみたいな気持ち悪さ。
テメェで放り込んでおいてなんで感動できるかな。
あまつさえ「手を貸しましょうか」とか言うやつまでいるし。
しかもその貸した手が蜘蛛の糸だったりするし。
いや手を貸すこと自体はいいんだけど、その前にそもそも放り込むなよと。
しかも助けてやるかどうかを美意識で選別するなよと。
放り込まないまでも蟻がかかっていることを期待してのぞきこんでいるのに
「ああなんてかわいそう」とか「がんばるすがたはうつくしい」とか
きれいなこころで言っちゃえるのは悪趣味すぎやしないか。
みんな他人に勝手なイメージをもっているもんだし、
予断や思い込みなしに物事を見るなんて無理なんだけど、
そのイメージにあわせなきゃ認めねえぜって圧力が強すぎる状況はいただけない。
「日本人はみんなカラテの達人」とかいうイメージだったら
「いや違うし」「できないし」で終われる。
でも「カラテができない日本人なんて認めない」とかってなると困る。
ひとりやふたりならコイツなに言ってんの?でいいけど、
たくさんの人に言われる圧力はけっこう怖い。
がんばって空手を習得することもできるけど、向き不向きはあるし
そもそも他人の期待ために空手好きを演じなきゃいけないってことが
どうしようもなく理不尽なんだ。
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