今日のクローズアップ現代で、アンドロイドの話をやっていた。
人間そっくりのロボットを開発してみたよって話。
見た目は蝋人形やオリエント工業みたいな人間度で、
さらに遠隔操作で表情なんかも動く。音声プラス口パクでしゃべる。
やっぱりちょっと不自然なんだけど、それはこの機械なり人形なりを
物ではなく人間とみなしてしまうから感じる不自然さなのだろう。
あのクラスメイトは芸能人に似てるよねと言うときの「似てる」は
雰囲気や髪型や目の形が同じ系統という程度で良いけれど、
ものまね番組のそっくりさんに求められる「似てる」は「同じ」に限りなく近い。
だから実際にはそっくりさんの方が本物に近くても、
クラスメイトなら「似てる」、そっくりさんは「似てない」と感じる。
そんな風に、人間と同じ自然さを求めてしまうほどの不自然さだった。
ところで番組の中でアンドロイド開発で世界の先を行く日本がどうのって言ってたけどそもそも人型ロボットにそんなにこだわるのは日本くらいなんじゃ…で、あんまり番組の内容と関係ないんだけど、ふたつ考え事をした。
出てきたアンドロイドは若い女性と、
40歳前後くらいの男性をモデルにしたものだった。
若い女性は肌も髪も顔もきれい。
男性型アンドロイドはひげの剃り跡も微妙に残ったような荒れた肌。
男性型のモデルになった開発者はいかにもロボット研究の人っぽくて、
挨拶もそこそこに解説をしはじめるようなイメージで
(でも周囲が見えていないわけではないわかりやすい説明だった)
接客業みたいなスマイルゼロ円の人ではない。
アンドロイドだから不自然なのか元の人がカクカクしてるのか微妙にわからない。
うん、だから、人はともかくロボットで眉間にしわを寄せて笑顔がない
(というか表情があまり変わらない)のって怖いね。
でもこのくらいのレベルで表情が動かない人は、実はけっこういる。
事故や病気や加齢で筋肉が動きにくくなったり、
義眼だったり、眼球があまり動かないとかで、
自分で思っているよりも表情が動いていないとか、
あるいは単純にこういうシーンではこういう風に筋肉を動かして
こういう表情を作りましょうってことに慣れていないとか、文化の違いとか。
王道の振る舞いは王道にいられる人にしかできない。
前に発達障害の人が、
「自分では普通にしているだけなのに感じが悪いとか馬鹿にしていると怒られるので不思議だった。こんな時には口角を上げて眼を細めて笑った表情を作るんだとか、こんな時には笑わないとか、謝るときにはこんな顔を作るというパターンを教わったらだいぶ生きやすくなった」
ということを言っていた。
ラッシュの電車や混んでるマックで歯車になれない、
パターンどおりの行動ができない人は白眼視される。
日本の女性はいつもニコニコするから外国で勘違いされやすい
(俺に気があるなとかヘラヘラしてんじゃねえよとか)という話もよく聞く。
テレビのアンドロイドを見ていて、
「普通」に振舞えないがゆえに嫌な目に会う人たちを連想した。
前に若い女の子と携帯でメールしたとき、
私は普段絵文字をほとんど使わないんだけど
相手がたくさん使う子だったので、がんばってキラキラさせてみた。
しばらくしてまたメールしたとき、
仲良くなってきたし面倒くさいし、まじめな話だったので、
ついうっかり文字だけのメールを送ったら「怒ってる?」と聞かれた。
そうか真面目な時ほどニコニコしなくちゃだめなんだっけ。
面倒くせぇ。難しいな。
大丈夫だと表現され続けないと心配になってしまう気持ちも実はわかる。
言葉よりも動作や表情や印象や社交辞令や服装や
言葉の裏を読んで察することを過剰に重視する社会の中では、
「普通」の反応を返してくれない人と相対するとものすごく不安になる。
そういう「普通」に過剰適応した人は
「普通」をやってくれない人に苛立って、時に攻撃さえするから
「普通」をやれない人は「普通」の中ではものすごく生きづらい。
ロボット研究はどんどん進化を続けていくんだろうけど、
もうアンドロイドはこれでいいんじゃねえかなって思った。
このくらいの不自然さがそこらじゅうにあふれたら、
人間を教材にしないで、こういう「不自然さ」に慣れることができるんじゃないかな。
違うものに対する恐れを消すには、
朱に交わらせて赤くするより、十人十色を知るほうが確実だ。
長くなってしまったのでもうひとつの考え事は今度。