ブルーな年末年始ですね。大丈夫ですか?
大丈夫ですよ。これを読んでいるってことは、
クリスマスを越えてきたんだから正月もやりすごせます。
会いたくない人には会わなくていいよ。
年賀状の数が人の価値じゃないよ。
ていうか価値なんかなくても生きてていいよ。
5年くらい前に、ひきこもり支援をしている人の講演会に行ったとき、
その人は
「『ずっとひきこもっているとは意志が強いね』でもなんでもいいから、とにかく褒めろ」
ってなことを言っていました。
自己肯定感の高いひきこもりって多分いないから
(肯定してればたとえひきこもっても「出不精」や「家好き」であって
「ひきこもり」という問題は抱えない)
自分を肯定できるような言葉を投げるってのは大事だと思います。
でも、なんでもかんでも褒めればいいってもんじゃないです。
肯定されたことが伝わらないと意味がない。
それに必要なのは存在の肯定であって、今してることの肯定じゃないんです。
「怖くて外にでられない」ってのは全然意思じゃないです。
嫌で仕方がないのに、そこを褒められても
(しかも講演会で言われたからという理由でその言葉を吐いても
本気でそう思っていないことが伝わってしまうから)
厭味としか受け取れません。
少なくとも私は厭味だと感じます。
午前様に「お早いお帰りですこと」って言うようなもんです。
ソレ褒めてねえよ。
本人の感じている不安や恐怖を無視して大丈夫だよって言葉だけ言われても
なにが大丈夫なんだかわからんのです。
言ってる人(特に親)も本当は大丈夫だなんて思ってないでしょう。
あるいは本当に大丈夫かなんて考えてないでしょう。
本当に疲れきって動けなくなった人には休息が必要だけど、
それだって体だけ休んでも頭が休めないんじゃ意味がありません。
「休息(本人的には空白期間)」のせいで
不安がつのって動けなくなることだってあります。
だから非当事者には安易に大丈夫だとか休めとか言ってほしくないです。
ここで唐突にマイフェリバリットヒッキーソング☆
一日中毛布に包まって
世界から逃げる
傷つくことはなかったけど
心が腐ったよ
ASIAN KUNG-FU GENERATION 『桜草』
なんでひきこもっちゃダメかっていうと、
将来がないからでも社会に迷惑をかけるからでもなくて、苦しいからです。
将来どうなるかなんてみんなわからないし、
大抵の人はなんかしら迷惑かけてます。
でも心が腐ると苦しいんです。
苦しいなら変えればいいんだけど、腐ってるからできないんです。
だから支援が必要なんです。
(当事者宛)
でも待ってたって取り返しがつかなくなるまで
誰も気付いてくれないから、助けてっていったほうがいいよ。
ひとりで外にでるのは大変だからこそ、
自分で助けを求めなきゃズルズル長引いちゃうよ。
他人の善意を信じるべきだけど、善意の他人が表れる日なんか信じても無駄だよ。
助けてって言えばたまに誰か助けてくれるけど、
隠れてる人をわざわざ探してまで助けに来てくれる人はいないよ。
そこで涙をこぼしても 誰も気付かない 何も変わらない
少しでも そばに来れるかい? すぐに手を掴んでやる
BUMP OF CHICKEN『メロディーフラッグ』
そんでひきこもり予備軍になったらホリデイ聞くんだ。
あと 2回 寝返りしたら 試しに起きてみよう
あと 3回 寝返りしたら 今度こそ起きてやろう
BUMP OF CHICKEN『ホリデイ』
ASIAN KUNG-FU GENERATION(2006-03-15)
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クリスマスは仕事で、大都会の百貨店で群衆かぽーにもまれている。
麻痺してしまった、というか、別人になったという気さえします。
確かに、引きこもりの時って身体は休息してても、人生で一番物事を考えていたときでした。
あの良くまわる脳みそが今欲しいです。
引きこもりとかうつとか、そこを脱してしまうと色んな事を忘れてしまって、今辛い人の気持ちを汲むのって凄く難しいと私は思いました。
こちらからは良く見えないから、辛くても姿を見せて欲しいです。
助けを求めて手を伸ばしてくれたら。絶対に掴み返したいです。<鈍感なので気づくまで時間かかりそう;
ただそこから引き上げられるかどうかは運次第☆<だめぢゃん
・・ところで、
ヒギリ様はバンプお好きですよね〜
来年は私も聞いてみよう♪
お仕事お疲れ様です。自分の場合、嫌いな季節は働いたほうが調子が良かったので、休日に働くのが嫌だと思えたら「健全」なのかなあと思ったりもします(笑)。
自分が大丈夫だって思えるときは、年賀状が何枚来ても返って来なくても平気になりますね。
学生の休講日だろうがフリーターの休日だろうが会社員の営業帰りだろうが「平日の昼間に外を歩く自分」に変わりはないのに、ひきこもりのときに視線が気になるのは、誰よりも自分が「働いていないくせに(学校に行かないくせに)真昼間から出歩くなんて」と思っているからなんですよね。と、ひさびさにひきこもってみて思いました。
もう乗り越えたことはやっぱり忘れるし、自分は越えたからこそ歯がゆく思ったり、早く越えちまえよと思ったりしてしまうもんだと思います。
ひきこもっているときは時間があるから良くも悪くも考えちゃうし、外部からの反応がないから自分の中だけでグルグル反復しちゃうんですよね。外に出ると他にやることが色々あるから自分について考えるとか、同じ様に弱い人のことを考えるスペースがなくなる、というか、考えたら適応するのが難しくなる。
だからそうなるのも必要なんだと思います。ああでも人を傷つけられるようになったことに気付いて後で落ち込んじゃうなら結局ダメなのかな。人が傷ついたからって自分まで傷つかなくていいと割り切りつつ気付けたらいいんですが。
私は人に相談するのが死ぬ程苦手でなかなかできないんですが、一度どうしようもなくなって助けを求めたら、そこにいた人がそこにいたからというだけの理由で手をつかんでくれたことがありました。こんなにも簡単に自分のために動いてくれるのか、大した理由もなく助けてくれるのか、と驚愕しました。あんまりびっくりしたものだから、結局つかんでくれた手を振り払ってしまいました…
結局、救われるかどうかは救われる気があるかどうかにかかっているんですよね。
それでも、あぎょうさんのように「手を伸ばされれば掴み返すよ」と言ってくれる人が見えるというのは心強いです。自分もこの人なら掴んでくれる、少なくとも突き飛ばしはしないだろうと思ってもらえる人でありたいです。
そうそう、バンプは良いですよー!ここ数日はニューアルバムを絶賛エンドレスリピート中なので脳内がバンプモードです。こもり系にもまぶしすぎない前向きさが素晴らしい(笑)
好き嫌いが分かれるようなので、視聴するなり歌詞をみるなりしてからの方がいいかもしれませんがハマればハマりますよー。ぜひ!
(肯定してればたとえひきこもっても「出不精」や「家好き」であって「ひきこもり」という問題は抱えない)
そうだったのか・・・。
私も超出不精で超家好きだし、外に出るのが嫌いだし、それって「ひきこもり」なんだと思ってたけど、自己肯定感はめちゃめちゃ高いですねー。
外に出りゃいいってもんじゃないし、家にいたい人が家にいて何が悪い、と思ってるし、ひきこもりが悪いみたいに言う世間が間違ってる、ぐらい思ってる。
自分がひきこもっていたいからひきこもっているので、他のひきこもりの人が辛いと言うのは、周りの人に「外に出ろ」と言われることや、無理やり連れ出されたりするのが苦痛だからだと思ってました。
「出ない」と「出られない」は同じじゃないし、「外が嫌い」と「外が怖い」も違うんだね。
でも、ひきこもりを悩む人と悩まない人、本人としては悩まない方が楽だけど、より問題があるのは悩まない人の方かもね・・。
ですねー。家好きも出不精も自分が納得してしているならなにも問題ないですよ!自己肯定感は大事ですねー。
厳密に言えば「ひきこもり」という言葉は状態を表しているだけだから、当人の意思に関わらず定義に当てはまれば「ひきこもり」と呼べますが、自己肯定感の低い(ゆえに出たくても出られない、出たくないけど落ち着いてひきこもれない)ケースこそが問題としての「ひきこもり」だと思うんです。
ひきこもっても自力で暮らしていけるのなら問題ないし、親掛かりで暮らしているにしても、本人が納得しているのなら後は親の問題なんです。追い出すにしろ諦めるにしろ、それは親が自分の問題として処理しなきゃいけない部分ですから。(親よりも多分長い人生をどう生きるかは本人の問題です)
>他のひきこもりの人が辛いと言うのは、周りの人に「外に出ろ」と言われることや、無理やり連れ出されたりするのが苦痛だからだと思ってました。
なるほど、出たいのに出られなくて辛いのは確かにそうだけれど、「出たい」は往々にして「出なくてはいけない」という規範意識やプレッシャーだったりもしますね。
私は基本インドアなのでひきこもること自体は辛くないけれど、外に出るという選択ができないことが苦痛でした。本来は外に出たい人なのに出られないとなると、もっと辛いのだろうと思います。
>より問題があるのは悩まない人の方かもね・・。
またまた何をおっしゃるウサギさん!(笑)
悩みの種にならないのなら、それはライフスタイルであって「問題」じゃないじゃないですか。他人が問題にするならば、問題視するほうの視野が狭いんですよ。悩みたいことなんていくらでもあるんだから、悩んでないことまで無理に悩みにする必要はないですね。
もし、ひきこもりの問題点が、「生活力の有無」であるならば、私は「ひきこもっていても自力で生活する術はいくらでもある」ということを、今現在自力で生活できていないひきこもりさんたちに言いたいです。
パソコン1台あればできる仕事はいくらでもあるし、ホームページを作って商売だってできるし、ネットで取引できる投資もあるし、文筆業でもいいし、ある程度お金が貯まったら不動産投資で家賃収入という手もある・・。
私がやってきたのはこんなことですが、他にもいくらでもあるんだろうと思います。
時間はあるんだから、一生懸命考えて、自分に合った方法で生活する術を身につければいいんだと思うな。
なんて偉そうに書きましたが、私もどうしても用があって外出すると、周りの人が唖然とするほどのダメ人間です。
人ごみでオロオロして通行人の邪魔になるし、駅の階段から転がり落ちるし、電車は乗り間違えるし、目的地にはなかなか辿り着かないし、持ち物はどこかに置き忘れるし・・。
やっぱり、ひきこもったまま自力で生活できるようになったとしても、まったく外に出ないで生きていくわけにもいきませんから、苦手でも少しずつは外に出て、普通なふりができる程度にはトレーニングしといた方がいいかもしれないですね。
ひきこもりの問題点が「生活力の有無」だとは思いません。
それも問題ではあるけれど表面的なことにすぎなくて、問題の本質的はコミュニケーション能力(楽しいお喋りを提供できるかどうかではなく、自分の意見を伝えたり協力を求めたりできるかどうか)が低いというところにあると思います。
そこを解決しないまま外に出て働けるようになったとしても、また同じ壁にぶつかるから、再びひきこもったり別の形で問題が現れたりしてしまいます。
けれど「家にいるのが好きだけれど、ひきこもることに罪悪感がある」というタイプの場合には「ひきこもっても自力で生活する術はいくらでもある」というのは救いになりますね。
ダメなときって「自分はダメだ」以外の思考ができなくなってしまいますから。
>人ごみでオロオロして通行人の邪魔になるし、駅の階段から転がり落ちるし、電車は乗り間違えるし、目的地にはなかなか辿り着かないし、持ち物はどこかに置き忘れるし・・。
あ、お仲間はっけーん!階段から落ちる時ってドラマみたいですよね。うあー落ちてる落ちてる止まらねーとか思いながらゴロゴロと(笑)
私は普段眼鏡を手放せないド近眼なんですが、なぜか電車に眼鏡を忘れたことがあります。かけてたのになんで…?
>苦手でも少しずつは外に出て、普通なふりができる程度にはトレーニングしといた方がいいかもしれないですね。
自分が楽に生きるためのトレーニングは必要ですね。普通なふりのほうが楽なら普通なふりをするし、「普通」に合わせることが苦痛なら「普通じゃない自分」に慣れるトレーニングをすればいいんだと思います。