書くことは呼吸だ だからいつだって ただただ呼吸困難だった
枡野浩一 『ドレミふぁんくしょんドロップ』 実業之日本社
ひさしぶりに友人とあった時のこと。
友人が唐突に質問を繰り出した。
「最近、本、読んでる?」
途切れた会話の接ぎ穂を探したらしい。
友人はあまり読書をしないタイプ。
友人は会話に詰まったら相手の好むジャンルに話を振ろうとするタイプ。
友人はどこまで踏み込んで良いか気にするタイプ。
→当たり障りのなさそうな話題を振ろう。そうだ、本なんてどうだろう!
という結論に至ったらしい。
実は結構困る。
反抗期の子どもがあんまり口きいたことのない親から
「最近学校どう?」とか聞かれるようなもんで、
漠然としすぎていてどう答えればいいのやらわからない。
興味があるから聞いてるわけじゃないって分かっちゃうし。
加えて近頃は本を読むことにも
こんなことしてる場合じゃねえだろという罪悪感があって
読んでるけどあまり読んでるって言いたくない。
(元々そういう感覚はあったけれど、それがさらに悪化している)
本を、というより文字を読む行為は、自分にとっては
「しない」という状態が想像できない不可欠なもので、
しないと生きていけない(ような気がする)からしているだけにすぎない。
本というモノ自体は多分好きと言える。
本屋や図書館や倉庫や、
とにかく本がたくさんあるところにあると落ち着く。
人がいなければ。
(もっとも、博物館や資料館も好きだから
単に動かないモノがたくさんある場所が好きなだけかもしれない)
だけど「読書」となると好きなのか
嗜癖(というより強迫)に過ぎないのか、わからなくなってしまった。
まだ読んでいない本がないと不安になる。
カバンに本がないよりはハードカバーの重い本を入れるほうがマシ。
楽しみのためだけの無益な読書が面白かった後には、本が好きなんだなって思うけど。
たまに、本当は全然好きなんかじゃないんじゃないかと思うときがある。
ただ「好き」とか「楽しむ」ってのが自然にうまくできない。
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