録画したのを5秒くらいつけてはとめていたのをようやく前後編通してみた!
テーマが自分に直結しすぎてて見始めるのに時間がかかってしまった。
私はバリバラを信じてるからひどい描き方を憂慮したとかじゃないんだけど、スルーしてきたものを直視するのは気合がいるのです。
一人で嗚咽と鼻水もらしまくって消耗したけど観て良かった。
推敲する気持ちの余裕がないので長いよ。
観たのは20代の若者たちをあつめた『どきどきコテージ』の回。
吃音(きつおん)の男子4人と場面緘黙(かんもく)の女子4人が一泊二日いっしょにすごすという企画。
私は元緘黙(感覚的には毎日しゃべりたおしてる今も緘黙から抜け切れてない)なので、ほぼ女の子たちしか見てない感想ですよ。
ちなみに吃音というのは俗にいう「どもり」、言葉がうまく出てこなかったり詰まったりする。男性に多い。
場面緘黙は、話す能力に問題はなくて、家など慣れた相手・環境では普通に話せるのに、学校・会社・多人数など特定の場面になると声が詰まってうまく話せない。女性に多い。言葉だけじゃなくて体が動かなくなる人もいる。
私の感覚としては特定の場面で話せないというより、特定の場面でしか話せないって感じだ。
話をもどしてバリバラ感想。
顔合わせの緊張感がもう、みてるだけでこっちの息が詰まりそうになる。
女の子たちが目だけパチパチしながら固まっちゃってる感じとか、女の子同士2人だけの部屋でも目が合うとぱっとそらしちゃったりとか、男の子が必死で話しかけながらどうしようって顔に出てるのとか、うぁーあるあるあるある。
自己紹介ボードに親近感がわく
男の子も女の子も、少なくとも映った範囲ではわくを埋めきれていない。
「特技」とか「欲しいもの」とか。
特技に関しては自己評価の低さもあるかもしれないけど、お遊びでもこういうものがスッと出せなかったり、思いつかないけど適当に書いとこうってできないあたり、それっぽい。
私は緘黙視点で見ちゃうから、そっちの苦しさばかりに目が行くけれど、吃音の子たちもそりゃどうしていいかわかんないよね。
外でのレジャーも女子無言。
そこでキレたりせずにひたすら戸惑って不安になってる吃音の子たち優しい。
偏見だけど、普通の(自分を標準だと思ってるタイプの)人なら、なにコイツあたまおかしい、無視してんじゃねーよ、何様だよってなるとこだと思う。
話してるのに反応がない、目すら合わない。それは一般的に考えたら「無視」だし「拒否」だ。
吃音の男子たちもきっと吃音の二次障害的な傷(笑われる→自信がなくなる、など)を抱えているだろうから、なおさら不安になるだろう。
緘黙の子は多分、相手が気を使って一所懸命話しかけてくれてることを理解しているし、それなのにかえせないふがいなさも感じている。
でも表現できないからその気持ちは1ミリも伝わらない。
なんかもう画面の中に乱入して声をかけてあげたい。
がんばりたいとか言ってるけど、きみらすでに十分がんばってるよ!
その場所にいる決意と勇気はもうすでにすごいんだよ!
その場にいたら多分私も黙って固まるけど。
でもみんな、変わりたくて参加してるから、勇気を振りしぼって発信しようとする。
たとえば筆談で、たとえば人の力を借りて。
力の入ってない指でゆっくり示す写真をみんなで見たり、しぼりだすような声を一所懸命ききとったりして、みんなでゆっくりコミュニケーションを深めていく。
最初固まってた女の子たちが笑顔になって、筆談の文字を書くスピードも早くなって、どうしようって顔だった男の子たちが安心させるように微笑んで言葉をまっていた。
「普通」のコミュニケーションの型にはまらなくても、ゆっくり意思疎通ができてるからそれでOKっていう合意が自然に生まれているのがすごく良かった。
印象に残ったのは、釣りとピザのシーン。
正面で向かい合うより隣り合うほうがリラックスできるから釣りをやろう!と吃音の子が企画。でも沈黙。
で、スタジオのゲスト?の人が、「釣りなら餌のつけかたがわからないから教えて、とかってきっかけになりそう」って言ってた。
緘黙の人は多分それできない。難易度たかすぎる。
緘黙にとって発言することはものすごくハードルが高いから、声をかけるくらいなら我慢する・あきらめるとか、声をかけないですむように過剰に準備するっていうくせがついている人が多い。
たとえば、忘れ物をしても「貸して」とか「忘れました」って言えないから、年に1度しかつかわないような道具まで持ち歩いてたりする人もいる。
ゲストの発言を聞いて、そういう感覚は私にはあたりまえだけど、話せる人からしたらそりゃわかるわけないよなって新鮮だった。
で、私は「そんなの言えるわけないだろ」って決めつけていたから、緘黙の子たちが次々に自分のしたいことや行きたい場所を伝えたり、「みんなが」好きだって言ってるチーズを「私は」苦手だと伝えたりしているのが、ものすごく感動的だった。
緘黙だけど声が出ました、めでたしめでたし。じゃないんだ。
最後までかすかな声で話したり、声を出せない子もいたし、話せた子だってこれで別の場所でもスムーズに話せるようになりましたなんてことはないと思う。
でも変われるんだってわかったことはものすごく大切な自信にできる経験だ。
吃音の子たちは吃音と向き合う暇はなかったけど、それが良かった気がする。
自分よりあきらかにコミュニケーションの問題をかかえている緘黙の子たちが相手だから、吃音どころじゃないというか、しゃべれる自分がサポートしなきゃみたいな感じになったんじゃないかな。
緘黙もだけど、吃音の子も上手に話せる人たちに囲まれていると、そのスピードについていけなかったり、話せる人に話題をまかせて周縁に落ち着いてしまう。
だから相手を待つ側に立つ経験ができたのは良かったんじゃないかな。
最初は正直、この布陣はどうかと思った。
吃音男子と緘黙女子しかいないから、吃音=男、緘黙=女、という誤解を生むのではないか。
吃音と緘黙は疎外のされ方は近いけど別物だから、むしろお互いにわかりにくいのではないか。
男の子が女の子に一方的に「してあげる」構図になってしまうんじゃないか。
とか考えたから。
あと女子がみんなかわいすぎた。いや緘黙がみんなかわいいわけじゃないからね!もっと小汚いのもいっぱいいるからね!
かわいいから許されるわけじゃなくて、誰だって生きてていいんだからね!
どれも見終わった後でもやっぱりそういう面があると思うけど、でも人と人とのコミュニケーションになってたなって思う。
緘黙レベル・吃音レベルがひとりひとり違うのもよかった。
女子同士・男子同士では同じ悩みをかかえるピアカウンセリング的な関係を作れるし、みんなでいるときは違う問題を抱える人と知り合える。
希望が持てる、いい番組だった。
あと、スタジオの玉木幸則さんのコメントがいちいち優しくて格好いい。
ちょっとしたサポートで動けることをしっていけると違うねとか、身の回りの「なんでできないの」って思っちゃうような人にこういう背景があるかもしれないと想像するのが大事とか、サラッと言えちゃうんだから。
玉木さんも言語の障害というか問題もあるんだろうけど、それにしたって当事者じゃない人がこういう発言をしてくれるっていう想像力と優しさに涙が出る。
リンク
NHKバリバラ『どきどきコテージ』前編
NHKバリバラ『どきどきコテージ』後編