野茂がもし 世界のNOMOになろうとも 君や私の手柄ではない
この星で エイズにかかっていないのは あなた一人だ 孤独でしょうね
良い方でも悪い方でも、「みんな」と違う属性があると
「でもあの著名人も“そう”なんだよ」と
誰かが引き合いに出されることがあります。
よくあるのは
「あの天才エジソンも落第生だったんだよ(でも偉大な発明をしたんだよ)」系。
学習障害のトム・クルーズ(最近は良いイメージじゃなくなりつつあるけれど)や、
ACのビル・クリントン、ゲイのエルトン・ジョンなどなど。
悪いほうはもうとにかくヒトラーが出ます。
「ヒトラーは○○だった。だから○○は危ない。」というように。
「ヒトラーはひきこもりだった!」とか
「ヒトラーは実はADHDだった→ADHDにならないために」なんて本までありました。
※ADHDは発達障害です。なったり治ったりするものではありません。
犯罪者予備軍でもありません。
それは論外として、
普通(肯定的に使われる場合)なぜ著名人を出したがるのかといえば
大きく2種類の動機があります。
ひとつめ、
・野茂はすごい
→野茂は日本人
→日本人はすごい
→俺は日本人
→俺はすごい
というゆがんだ自己肯定。
(今ならイチローとか松井なのかな?よくわからないけれど)
自分の帰属する集団が褒められることで自分の価値まで高められた気がする。
実際にたたえられているのは自分の属する集団ですらなくて、
自分と同じ集団に属する他人なわけですが。
ともかくそれは意味ないじゃんと思うわけです。
一方ふたつめ。
モデルとしての著名人、というのもあって、そちらはある程度必要です。
自分の帰属する集団があまり良い評価をされていないとき
「所詮自分は○○だから、ステキな未来はつかめないのさ…」と
絶望せずに済むように。
まず誰かが「自分は○○だ」と言ってくれることで
(あるいはバラされることで)
○○は自分だけじゃないというのがわかる。
発達障害や同性愛のように、
あまり知られていなかったり忌まれたり隠されていたりした場合、
そこに属する人は「自分だけがおかしいんだ」と思い込んでしまう。
(あえて自分で思わなくても周りがそう扱ってくれやがります)
だから顔が見える人が「自分もそうスよ」と言ってくれると安心できるし、
ましてそれが成功している人ならば、
「○○のあの人だって成功している!」と希望が持てるわけです。
まああんまりすごすぎる人だと
「○○なのに成功するにはすんごい才能と努力が必要なのか…無理じゃん」
と希望を失ってしまったりもしますが。
・有名人が「自分は○○だ」とカムアウト
→○○の知名度が高まる
→一般人もカムアウトしやすくなる
→身近に同じ属性の人が見つかりやすくなる
という効果もあります。
これは差別されていなくても同じで、
たとえば奈美悦子が掌蹠膿疱症について語ったおかげで「自分もコレか!?」
と気づけた人がたくさんいる。
で、何を書きたいかといえば
・前者にならないようにしつつ、自分と同じ属性の著名人を探すのはアリだよね。
・でもカムアウト至上主義の一部運動家みたいに
「あの人も○○だーっ!!!」と声高に叫ぶのは違うよね。
・でもそうっぽいなと思って静かに勝手に励まされるくらいはいいよね。
・てかAセクの著名人っていなくね?
ということで、実はこの話は次回への長い前振りなのでした。
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⇒Aセクっぽい。





