相手は性別に偏りのある学校に通っていたらしく、同性カップルがけっこういたらしい。
同性同士のクラスメイトが「ふつうにちゅーとかしてた」そうで、同性愛嫌悪的な発言をされた。
「へーそうなんすかー自分のダチ(本当はかろうじて知人なだけの人)もゲイっすー」
とそれ以上のヘイトを牽制し、そのまま流れるように肯定をふりまいてやったぜ!
ホモフォビックな会話にのらないばかりか修正までしてやったぜ!啓蒙してやったぜ!
相手は善人で、ただ「普通に」知識がないだけの既婚者。
つまりまともな性教育を受けた経験や、セクマイ本を読み漁る経験(をする必要)がないために知識を得る機会を持たなかっただけで、執拗な悪意をいだいているわけじゃない人。
だから相手を否定せずに「ゲイ?レズビアン?なんでダメなの?動物でもよくあることらしいっすよ」てな具合にセクマイへの肯定を雑学披露のごとき堂々とした伝聞調で話したらあっさり納得してくれた。
そうだよね。
性別が同じってだけで愛を否定するのはおかしいよね。
愛は尊く普遍のものよね。
……Aセクのことを言えなかった……
同性愛の話をすると恋愛がどうのって話になりがちだから、ホモフォビアを阻止しようと焦るたびについ性愛者のふりをしてしまう…
「同性愛?個人の自由でしょ。私は無理だけど」とかいうセリフをいいたくない。
なんかあれじゃん。「俺は人種差別と黒人が嫌いだ」みたいじゃん。
実際、私は無理なんだけど。
同性愛なんて異性愛と同じくらい(自分がするのは)無理です。
Aセクだもの。
同性愛を否定したくないから。などと理由をつけてみたけれど、本当はコンプレックスのせいも多分にある。
実はけっこう、「恋人がいたことないよ」と言うのに勇気がいる。
言える相手にも「いらない」という言葉を使う。
「いない」んじゃなくて「いらない」んです、自分の意思なんですとアピールしたくなる。
本当にいらないんだけど、恋人が欲しい性愛者だったとしても私が相手を得るのは難しいだろう。
モテなさそうだしモテないよ。
だから私の意志がどうであれ状況は今と大差ないだろうけど、大差なくても「いない」は嫌で「いらない」がいい。
「いる」か「いない」かを尋ねられて「いらない」と答えることは、いらない人が見えない社会の中にいるAセクとして政治的に正しいはずだ。(生きやすいのが一番大事だから、ヘテロのふりをするのも選択のひとつです)
でも私の使う「いらない」は誇りや政治的判断とは違うところから出ている。
いやまあ、私は役に立つなら偽善も善なり派だから、動機の純粋さはわりとどうでもいいんだけど。
ただ、普段からきちんと考えている真面目な動機に基づかないから、Aセクの地位向上を訴えようにも主張をとっさに言葉に変換できなくて困る。
恋愛しないこと自体は(するって発想が浮かばないから)気にならない。
人に言ったらどう見られるんだろうって部分が気になる。
オタクを隠す気持ちに近いんじゃないかと思う。
恋愛はしたくないんだけど、提示できる過去形の恋愛経験だけ欲しい。
学校も勉強も嫌いだけど履歴書に書ける学歴だけ欲しがるみたいに。
学校に行く経験や、○卒程度の学力が欲しいんじゃなくて学"歴"が欲しい。
実力があれば学歴がなくても平気なのかもしれないし、学歴に怯えない度胸があれば学歴をうらやまなくても済むのかもしれない。
だけどそもそも学歴にこだわらない社会であれば、いちいちそんなことに悩まなくていい。
だから実力も度胸も経験もない身としては、学歴にこだわらない社会であって欲しい。
恋愛や結婚や出産や子育てが趣味の領域として尊重される社会であって欲しい。
私が楽に生きられるように。
ここ数年でAセクの知名度が(セクマイ界隈では)ずいぶん上がってきて、自分だけがおかしいんだという不安を感じることはなくなった。
そしたら妙に落ち着いてしまって、近頃はAセクについて調べたり考えたりすることをサボりがちになっている。
似たようなことは前にも書いているのに、私は同じ準備不足を繰り返してる。
以前、上川あやさんが、日本でセクマイの立場が弱いのは、無理解もあるけれど当事者の声が小さいからだと言っていた。
そこそこ暮らしていけるから。寝た子を起こすなと黙り込んでしまうから。
悪意のない他人にさえも声が届かない。
届かない声はないものとみなされてしまう。
今の日本(の都市部)ではAセクが大きな声を出さなくても、死ぬほど生きづらいほどじゃない。
しかも他のセクマイがけっこう気にかけてくれる。
最近の本だと、恋愛しない人もいると書いてくれるセクマイがたくさんいる。
私はそこに甘えて安穏としすぎてる。
不自由は特になくて、非モテヘテロや独身者と同程度の不快さがあるだけだから、Aセクの存在を知って自分の不安が解消された時点で満足してしまう。
そういうAセクさんは私だけじゃないんじゃないかと根拠はないけど思う。
もうちょっと声を上げて、もうちょっとでも頑張ろう。
おこぼれにあずかるだけじゃなくて、AセクがAセクを考えないと。
てことでコツコツ啓蒙するよ!……するよう心がけるよ。
ゲイの意見を代弁する友人を持つだけではもう不十分です。その友人がどんなに良い人間であっても、です。 p70
成長してない同じ準備不足の話
⇒Aセクの対応(「Aセクへの」にあらず)
自分の歌に格好悪く殺されるんだ






それまでは性的なことを極端に嫌いな人のことかと思ってたんですね。
性的なことに興味がない、必要ない、っていう在り方もあるんだ、と、そして自分がどれだけヘテロセクシズムにとらわれているか、ってことに気づかされて愕然としました。
ヒギリさんの記事に気づかせてもらうことは多いです。
いつもありがとうございます。
先日は私のブログにコメント頂きありがとうございました。
私は、幸いに非被災地域に住んでいましたので、
家族、私共々無事です。
ブログの更新が出来ていないところへ、
ヒギリさんの心配してくださっているコメントが私の心に灯火をつけてくれました。
本当にありがとうございました。
そして、心配をかけてしまって、
すみません。
いろいろ事情がありまして、
ブログの更新を中止していますが、
必ず近い内に更新を再開いたしますので、
気長に待っていてください。
それでは、失礼します。
moonmirror
>シロタさん、
ありがとうございます。
シロタさんが「知らないから知ろう」という姿勢でAセクのことを考えて、視野に入れよう・忘れないでいようとしてくださることが嬉しくてたまりません。
以前、ご自身のブログの中で、ヘテロ視点の記事を書いたけれどヘテロじゃない人もいることを書いていなかったからと追記しておられたことがありましたよね。
あれを読んでうわああああってなりました。その頃ちょうど、セクマイについて理解を示してくれた人が実は「特殊事例を認めてあげる」という認識であって自分の子どもや友人やご近所さんが当事者である可能性なんて髪の先ほども考えていないんだと気づいて落ち込んでいた時だったんです。
所詮ヘテロには通じないんだと世をすねていたところにシロタさんの言葉が飛び込んできて、ちゃんと受け止めてくれる人もいるんだ、大丈夫なんだと思えました。ヘテロだけじゃなくて、世界に対する信頼感みたいなものを落っことさずにすみました。
そのときは、感動しすぎてお礼をいえなかったんですが、ありがとうございました。
こんなぐだぐだな文章でも、書いてきて良かったです。
>moonmirrorさん、
ご無事でよかったです!
お知らせくださってありがとうございました。
普段だったら「忙しいんだろう」「気分じゃないのかも」と思う程度のことなんですが、時期が時期なのでつい書き込んでしまいました。ご家族もご無事でよかったです。
ブログは基本的に自分のためのもので、定期的に書くと決めて書くもよし、伝えたいことを伝えるために利用するもよし、書きたいときに書くのもまた良しだと私は思っています。
私はもうちょっと書きたいですが、けっこう眠気や怠け心に負けてます(笑)
ブログの更新を拝見しました。
悲しいニュースを延々と見続けると、それだけでもけっこうダメージを受けてしまうので、自分は被害に遭っていないんだから、この場所でこの立場で落ち着いてものを考えるのだと意識するようにしています。
どの記事を読んでも、全体的に私自身の感じ方や考え方に近く、こんなに同意できてしまっていいんだろうか…と危機感すら覚える感じなのですが。
私もヒギリさんと同じく、対象が異性かどうかという以前に、性的欲望の存在が自明とされている状況に違和感を抱いてきました。私も恋愛感情というようなものを自分ではほとんど経験しない人間なので、その存在を前提に話をされても、どうも乗り切れないところがあるのですね。「性的志向は?」なんて言われても、「うーん、何だろう…」という感じですからね。少なくとも、特定の生身の人間に向いたりは絶対にしない。
ただ、私の場合、それをあえてカテゴライズすればAセクになるということは知りつつ、自分でAセクと名乗ることはしない、という姿勢を取っています。そういう問題意識は、たとえば結婚制度や恋愛イデオロギーの批判といった形で個別に表現していく方が私にはしっくりくるのです。つまり、「恋愛に興味のない私のような人間(Aセク)もいるから認めてくれ」というのではなく、「どうしてみんなそろって恋愛、恋愛って言ってんの? おかしいんじゃないの?」という問い方をしたい。で、これも私の場合、そのあたりの批判にはフェミニズムの理論がほとんどそのまま使えてしまいました。特定の社会制度の中で「恋愛」といった観念がいかに生み出され、都合よく利用されてきたか、といったことはフェミニズムがしばしば問題にしてきたことで、私はそういうもので結構気がすんでしまったところがあります。(その上で、私はフェミニストも自称はしないのですが。)
ですから、Aセクとして声をあげよう、というヒギリさんの呼びかけには、そのままの形では私は応じられないのですが、たとえば「恋愛」を経験することが当然とされ、経験しなければならないという強迫にかられるような社会を批判する、という点では完全に同意します。そういうマジョリティの通念に揺さぶりをかけたい、ということですね。
ただ、私がずっと考えているのは、そういうマジョリティを批判するマイノリティの側が、たとえば「Aセク」のようなカテゴリーを必ず引き受けなければならないものかどうか、という点です。カテゴリーを立てることによって集まりやすくなる、説明しやすくなる、といったことはもちろんあると思うのですが、一方で、まとめて「特別な人たち」、例外とされてしまう、という面もあります。最初から自分とは違う人たちだ、とマジョリティは見ることができてしまうわけですね。カテゴリーを立てられると。
私としては、上にも書いたように、たとえば非モテで悩んでいた人が、「なんでそんなに恋愛にこだわるの?」と逆に問い返されて、よく考えてみたらその強迫自体が社会から押し付けられたものかもしれないと気づいて…というような展開が、もしあったとしたら面白そうだと思っているので、「私は特別」路線よりも、「みんなが変だ」路線にもう少しこだわってみたいのですが。
突然のコメントで長々と失礼しました。
ヒギリさんの文章、これからも楽しみにしています。