もうだいぶ前のことだけど、どっかの大学の公開講座みたいなので
砂川秀樹さんの講演を聞いたことがありました。
月何回・定員何名・全何回と設定されたセクシュアリティ系の講座で、
講師はトランスの人だったけど
自分がリアリティを持って語れるのは自分のことだけだから
と言ってよくゲストを呼んでくれていました。
ゲスト講師の一人が砂川さんで、講座も後半の頃でした。
つまり受講者はそれなりに(同性愛とトランスの区別がつく程度には)知識を得た後ね。
話が終わって質疑応答になったとき、
幼く控えめな受講者たちが挙手するのをためらっているのをみて、
「じゃあとりあえずよくある質問とその答でも」と
砂川さんが話し始めたのが
「ゲイってどんなセックスをするの?」
という問いと
「別に全員アナルセックスするわけじゃないよ。
ていうか初対面の人にあなたはどんなプレイをするの?
なんて異性愛者には聞かないよね。なぜなら失礼だから」
という答。
それはもう、絵に描いたようなテンプレ質問と模範解答で、
似たような話を本やなんかで見た覚えがあったし、
もしかするとその講座の中でも聞いたことがあったかもしれません。
だからがっかりしました。
なんだろう、そう言われるってことに。
「私たち異性愛者」は、
こうやってジェンダーやセクシュアリティに興味を持って
こうやって自分の意志で話を聞きにくる集団でさえ
この程度に見られているのか、と。
(その頃の私は自分を「同性愛者ではなさそうだ=異性愛者だろう」と認識していました)
けれど機先を制して下世話な話をたしなめるのは
無知なマジョリティから無神経な質問や失礼な扱いを
多くされてきた結果だろうと後からようやく思い至って、
いろいろと、うわぁ…ってなりました。
マジョリティ一般のセクマイに対する認識も、
マジョリティに対する講師陣の認識も、
「マジョリティとしての私」の扱われ方にとりあえず目が行く自分の認識も。
でも本当は敵はそれらを育て上げてきた状況。
道は遠いなあってな印象を抱いたのでした。
道も目的地もどこだかわかんないけど。
ていうか異性愛者の聞き手と同性愛者の語り手という認識もどうよって話ですが。
テーマ的にみて受講者のセクマイ率はきっと高かったはず。
私は「あらゆる語りは注釈がない限りマジョリティに向けられている」
と思い込みがちで困ります。
でも実際、他の講師も含めてその講座は「マジョリティ向け」に作られていました。
たとえば「ゲイのセックスって〜」という質問にしても
異性愛者が“あなたの”セックスについて下世話な好奇心で聞いているんじゃなくて、
異性愛者が“同性愛者の”セックスについて知的探究心から聞いたかもしれないし、
同性愛者が“同性間の”セックスについて切実に聞いたかもしれないけれど、
興味本位の異性愛者からの無自覚に無神経な質問と見なされている。
それは聞き手として想定しているのが異性愛者だからだろうと思うのです。
(今回はテーマが同性愛だから同性愛者と異性愛者だけで書いたけれど、
自認も体も性愛も生活も多数派の人とそれ以外、と分けたほうがより正確)
むずかしいなぁ。
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⇒砂川秀樹『カミングアウト・レターズ』太郎次郎社エディタス