「全校集会でせんせいが『いのちを大切にね☆』とかなんとか
でんこちゃんみたいなことを言いました」
というニュースが流れるもんだけど、
そういう訓示にいったいどれだけの意味があるのかって考えると
大概は無意味だろうと思う。
が、無意味ならまだしも、これは有害だ。
「親はみんなを愛している」=長女通う中学で終業式−埼玉・川口
埼玉県川口市の自宅で男性会社員(46)が殺害された事件で、逮捕された中学3年の長女(15)が通う中学校の終業式が22日行われた。式では校長が事件経過を説明するとともに、「親はみんなが思っている以上に、みんなを愛している」と家族関係の重要性を訴えた。
校長らによると、生徒の動揺などを考慮し、4時間目に予定されていた終業式を急きょ1時間目に変更。生徒全員が校長の話を神妙な面持ちで聞いていたという。中には涙ぐむ生徒もいた。
学校側によると、同日朝には長女の母親から校長に「お騒がせして申し訳ない」と電話があった。事件原因について母親は「本当に分からない」と涙声で話したという。
時事通信社 2008年7月22日(火)13:31
さーいーてーいー。
田舎のムラの分校で校長は子ども全員の顔と名前と性格どころか
親の馴れ初めや子供時代の遊び友達まで熟知してるんだぜ!
とかいうならともかく、
どの子がどんな性格でどんな家庭で育って
どんなことをどんな風に受け止めるかなんて
校長は(担任だって)知らないでしょう。
ていうか多分、顔と名前も一致しないでしょう。
個々の事情をわかった上で、
「反抗する子ども」に「その子の親」の気持ちを伝えるとか
「自分の経験」を伝えるとかいうならまだしも、
知らないことをなんで断言できるの?
「普通に」愛されている子もいるだろうけど、
愛されてない子もいるだろうし、
適切じゃない愛され方をしている子や
愛されていることが伝わっていない子
(あるいは伝わるような愛しかたをできない親)も絶対にいる。
そんで、「愛している」と「大事にしている」は必ずしも一致しないし、
「愛している・大事にしている」と
「適度な愛情を与えられている・大事に扱われている」は同じじゃない。
そういうことをなにひとつ考えないで、
「親は子どもを愛しているに決まっている」という思い込みを押し付けられたら、
実際に愛されていない・愛されていると感じられない子どもはどうすればいい?
だいたい中学生なんて日本では自分だけで生きていける年齢じゃないんだから、
親(保護者)より圧倒的に立場が弱い。
そんな弱い側の子どもに家族関係の重要性なんか説いても仕方ない。
子どもは親を変えられない。
子どもが家族関係をうまく保とうと思ったら、
親を変えたり関係を改善したりするのではなく
現状に合わせて自分を変えたり殺したりするしかない。
そういうことをしなきゃいけない環境にある子は、
言われるまでもなくとっくに我慢してる。
そういう子どもにも、「愛ならしょうがない」なんて言うつもりなのか。
母性愛幻想の残酷さは、子どもを愛せない(と感じている)母を縛り罰すると同時に、母から愛されなかったと思うしかないひとたちの存在根拠を奪ってしまう点だ。母から愛されない=自己否定という公式にどれほど多くの子どもたちが苦しんできただろう。
信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』春秋社
そりゃ子どもは大事にされるべきだし、
親的存在に愛されて育って欲しいと思うけれど、
「べき」と実際は違う。
「親はいつだって子どもを愛しているし、子どものためなら命だって投げ出す」
「腹が立つときもあるけれど子どもは可愛い」
「理不尽に思えても、親が子どもを叱るのは子どもの将来を思ってのこと」
などと刷り込まれたら、愛されたり大事にされたりしていない子どもは
「自分の家は異常なんだ→そんなことは隠さなくてはいけない」とか
「本能で子どもを愛するはずの親にすら好かれない自分は最低の人間なんだ」
と思うしかなくなる。
校長は、親は子どもを愛するものだと思っているのかもしれないし、
信じたいのかもしれないけれど、現実にはそうじゃない親子もいる。
世の中には色んな人がいるし、学校には色んな子どもがいる。
家族の環境も関係も気質も構成も違うのが当たり前だ。
「そうじゃない子」を抑え込んで「普通」に見せかけることじゃなくて
そうじゃなくても生きていけると信じさせてあげるとか
そうじゃなくても助けはあるから大丈夫と言ってあげるとか
そういうことのほうが、ずっとずっと重要なのに。
なんかこういう、自分の知っている環境や自分の信じていることが
唯一無二の真実だと思っている人って反吐が出る。
「イキモノはすべて異性に恋をしてつがいになって生殖する」とか
「(自分の)子どもは健康に生まれてくる」とか
「若者は活力があって希望を持っている」とか
「ケンカをしても言葉がなくても家族だったら分かり合える」とか
「耳は聞こえるのが当たり前」「PCは使えるのが当たり前」とか
「一日くらい寝なくても働ける」とか
「できないのは努力が足りないからだ」とか
「これさえやれば幸せになれる」とか
「こんな風に生まれたら必ず不幸になる」とか。
ウチはウチ、ヨソはヨソ。
自分に有効だった処方が他人にも有効だとは限らない。
自分の常識が別の場所では非常識になるなんていくらでもあることだ。
「べき」が現実のすべてじゃないことを理解していない、
あるいは理解しようとしない無神経な「健全さ」が腹立たしい。







